「安全保障や外交に支障」のまやかし 意識改革と態勢強化が急務
2019年10月27日
「安全保障や外交に支障が出かねない」という理由で開示を拒んだ日米関係の文書は、すでに自ら公開している文書と同じ中身だった――。ウソをついたと言われても仕方がない外務省のずさんな情報公開への対応を2件、朝日新聞は10月にまとめて報じた。
この奇怪な不手際を生んだ外務省の闇を、筆者の私がどのように探り、日本外交の足腰に危うさを覚えたか。新聞に書ききれなかった経緯と実態を報告する。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
「外務省、公開済み内容を不開示に 沖縄返還文書など」(10月27日付朝日新聞朝刊1面に掲載)
※この記事の公開から2日後の10月29日、茂木敏充外相の定例記者会見で筆者はこの問題について質問しました。そのやり取りを末尾に追加しました。
きっかけは8月、日米関係史に詳しい信夫隆司・日本大学教授からの指摘だった。
開示請求から2年4カ月も経ってやっと外務省が出してきた半世紀前の外交文書を示し、ニュース性を尋ねたときのことだ。「沖縄返還問題の進め方について」という文書に目をとめた信夫氏から、意外な反応が返ってきた。
「私が驚くのは、すでに公開ずみ、それも極めて有名な文書群の中にあるものを、開示請求に対し当初墨塗りした(開示しない部分を黒く塗りつぶした)ことです。外務省の担当者が不勉強なのかどうかわかりませんが、歴史的文書の持つ重要性を全く認識していないのではないでしょうか」
そうとは知らなかった私の「外務省ずさん不開示問題」の取材はここから始まったのだが、本論に入る前にまず、まさに紆余曲折を経たここまでの外務省とのやり取りを述べておく。話がさらに溯るが、しばしおつきあい願いたい。
文書開示に至るこの2年4カ月の確執が、外務省自身がそこからさらに7年も前に公開していたのと同じ中身の文書を伏せたためだったという理不尽さを、読者にご理解いただきたいからだ。情報公開法に基づく文書開示請求という、多くの方にはなじみのない制度を理解する助けにもなるだろう。
私は2017年3月、朝日新聞社として外務省に文書開示請求をした。対象は、1968年の日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)に関する文書だ。SSCは今も続く日米の外交・防衛担当高官による非公開の協議の場で、私はその源流であるSSC発足当時の1960年代後半の協議に関心があった。
当時は、中国の核開発やベトナム戦争の長期化などアジアで安全保障上の懸案が絡み合う一方、日本は高度経済成長期にあり沖縄返還を求めていた。SSCは、米国にとっては日本にアジアの安全保障でより広い役割を促す場、日本にとっては米国に核戦略や沖縄をめぐる突っ込んだ話を望む場として動き出していた。
2001年施行の情報公開法は政府の各機関に対し、文書開示請求を受けてから原則30日以内に開示・不開示を決めるよう定めるが、特例として「相当の期間」まで延長できる。私の請求に対し外務省の決定が出そろったのは3カ月半後の2017年7月。対象文書計47点のうち「部分開示」とされた4点に、趣旨がわからなくなるほど多くの墨塗りがあった。
その理由は、そこを明かせば「国の安全が害される」「他国との信頼関係が損なわれる」などの「おそれ」があるといった、情報公開法上の不開示事由にあてはまるというものだった。
決定に請求者が不服の場合は、総務省の情報公開・個人情報保護審査会に審査を求めることができる。私は2017年9月に「約50年前の文書を全て開示しても外務省の言うような『おそれ』はありえない」として審査を請求。外務省は10月に審査会に対し「対象文書の不開示事由の該当性を厳正に審査した」と反論した。
審査結果は請求から1年9カ月後の今年6月に出た。審査会は、外務省が「部分開示」とした文書4点の不開示範囲は広すぎるとして、2点は全て開示し、2点は開示範囲を広げるよう求めた。
外務省はこれに沿って今年8月に私に文書を追加開示。全て開示となった2点のうちの一つが、当初は外務省が半分ほど墨塗りにしながら、タイトルと日付は出していた5ページの「沖縄返還問題の進め方について」だった。それを信夫氏に示したところ、2010年から外務省が公開しているのと同じ中身ですよと教えられたというわけだ。
以上の経緯があり、なぜこんなことが起きるのかと私は取材に取りかかった。最初は、米国でもあるように、いったん公開した文書の中身について国際情勢の変化などから開示基準を厳しくする対応を外務省がしたのかと思った。
だが、そうではなかった。その文書は今も外務省HPに載っている。リンクは次の通りだ。
これは、外務省が2009~10年に行った、日米安全保障条約改定(1960年)から沖縄返還(1972年)にかけての対米外交文書の調査結果に関するページだ。自民党政権下の1960年代から70年代にかけてのこの時期、日米間に4つの密約があったと指摘されていたが、2009年の民主党政権への交代を機に、そうした密約の有無が岡田克也外相の主導で検証された。
この文書の中身が、私の2017年の文書開示請求に対し、外務省が趣旨がわからなくなるほど墨塗りにして出した文書と同じだったのだ。
外務省HPから密約関連の文書を見ると、手書きとタイプの文が混じり、校正の跡もある。全てタイプで書き込みのない私への開示文書と体裁は異なるが、密約関連の文書にある校正を反映させると私への開示文書と中身が同じになり、タイトルも「沖縄返還問題の進め方について (昭和)43.7.15 アメリカ局長」でそろう。
この密約関連の文書が、私に開示された文書を仕上げる一歩手前の原稿であることは明らかだった。それは外務省として日米密約の有無を検証する上で大切な文書だったからこそ調査対象となり、2010年からずっと外務省HPで公開されてきたのだ。
だが、「日米同盟は外交の基軸」と内外に唱え続けてきた外務省で、そんなずさんなことがあるのか。私への開示文書は公開済み文書と体裁が違うので見落としたのかもしれないが、外務大臣名での不開示決定に至るまでにそうした見落としを救うチェックは働かないのか――。
そんな疑問を知り合いの研究者らに投げかけていると、日米地位協定に関しても似た話があるという返事が8月にあった。それが上記の私のケースと合わせて、10月に朝日新聞で報じた2件目だった。
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