市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員
1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
異例ずくめの入場制限、補助金不交付も後味悪く、残った禍根
見終わった客からは、賛否とともに「意外と普通の展示でした」「こんな騒ぎになる展示とは思えなかった」と、厳しい警備態勢とのギャップを口にする人が目立った。
とはいえ、すべてが陰険なムードというわけではなかった。
会場の外では、再開に反対する人たちがプラカードを持って歩き回ったり通行人にビラを配ったりしていた。主張はこんな具合だ。
「県は公金の不正使用を認めるな」
「芸術でない芸術祭に公金を使うのか」
「昭和天皇を踏みつけるのは芸術でない」
再開の是非を問うテレビカメラに向かって、「再開?こんなバカなことないですよ」とつぶやく男性もいた。
しかし、少なくとも私が滞在していた数時間は、罵声が飛び交ったりにらみあったりする場面は一度も見なかった。
再開反対のプラカードを持ち、数人で会場近くに立っていた名古屋市民という女性は、昭和天皇を汚すような作品が許せないと言い、「県が応援している展示会であれば、子ども連れで見ても、嫌だなあという気持ちにさせるような展示はおかしいでしょう。ただ、それを訴えたいだけなのです」と静かに話していた。
韓国メディアは、在京のほぼ全社が出張して取材していた。大手紙の東京特派員は、「慰安婦問題のシンボルとされる少女像の展示がどうなるか関心を持っていたが、名古屋に来る間もなく、あっという間に展示が中断されてしまった。展示が紆余曲折(うよきょくせつ)を経て再開されること自体が日本のすごさです。韓国ではあり得ない大きなニュース」と驚いていた。
「トリエンナーレ2019」は、愛知県内4カ所のメイン会場を中心に、絵画、空間パフォーマンス、音楽、映像などを繰り広げる日本最大級規模の芸術祭だ。
「その後」展は、芸術文化センターで計画された37の個展の一つに過ぎず、トリエンナーレ全体では量的に数パーセントに過ぎないだろう。
それが脅迫を受け、政治的圧迫を受け、中断に追い込まれたことで、他の展示のアーチストたちにも刺激を与えた。8日の会場には、いくつかの別な展示に「NOW OPEN AGAIN 展示再開」と赤字の案内板が付けられた。
中断から1週間余りたったころ、彼らは連帯して実行委員会に抗議し、自分たちの展示の中止も求めた。「展示再開」は、主催者側と和解してボイコットを撤回、再び展示参加を決めたことを示すサインだった。
死亡した難民の数を刻んだスタンプを客の手に押し、白い展示室にメンソールの香りが充満して刺激で涙が出てくるタニア・ブルゲラ氏の作品。朝鮮の民族衣装・チマ・チョゴリにあふれた部屋で、民族の分断を刺激的な映像で見せるイム・ミヌク氏らの作品など、この日、ボイコット組が再び参加した意義は大きい。