映画「ジョーカー」に共鳴する香港市民の不安と興奮
2019年10月13日
映画〈ジョーカー〉は10月3日に世界同日公開されると大好評。週末までに第1週の興行収入が10月公開映画では過去最高の100億円を突破した。
アクション作品で正義のヒーローに悪役は必要だが〈バットマン〉のジョーカーほど人気ある悪役は他にいない。ジョーカーは非情なのだが、何処か憎めないトリックスター的なキャラクターで、正義や権力を嘲笑うような道化師。映画作品では〈バットマン〉でのジャック=ニコルソンや〈ダークナイト〉でのヒース=レジャーが実に印象深いジョーカー像を名演したことも印象的で、ジョーカーをスーパー級の悪役(Supervillan)にした。
今回の〈ジョーカー〉はバットマンも登場せず、1980年代らしいゴッサムシティを舞台にジョーカーの誕生を描いている。ニューヨークを彷彿させるゴッサムシティは貧富の格差が激しく、市の財政難で社会福祉予算削減、ストライキでゴミ収集も停滞で治安も悪い社会情勢。その大都会で精神を病みつつコメディのスターを夢見てピエロ業で糊口を凌ぎ、病弱の母の面倒を見る青年・アーサー(ホアキン・フェニックス)が、どうしてジョーカーとなってゆくのか。
香港では、台風警報発令で公共交通がストップし自宅待機措置となっても映画館は開いている。それが今回の都市機能不全では大型のショッピングセンターも多くが臨時休業を決め、その煽りで映画館もかなり閉鎖となる中での、この〈ジョーカー〉の大好評。週明けでショッピングセンターも再開した8日は香港全域で1日に581回も〈ジョーカー〉が上映されている。
映画は娯楽、〈バットマン〉のようなアクション映画ならスリルとサスペンスを満喫だが香港で〈ジョーカー〉はワケが違う。奇しくも〈ジョーカー〉の公開が10月3日で、翌日の4日に香港政府は行政長官・林鄭月娥が緊急情況規則法例を用いてマスク禁止法発令を決め5日から施行された。まるで〈ジョーカー〉上映にタイミングを合わせたかのよう。この映画が香港社会に与える影響を憂慮してマスク禁止法を急ぎ発令したのでは?と映画ファンが冗談をいうほど。
殺伐としたゴッサムシティ、激しい貧富格差、市政府は社会問題解決どころか治安悪化を緊急の治安条例で平定しようとし警察の取締りも厳しい。それが政府への抗議活動、その激化と警察の暴力的な取締りの続く香港に映るのだ。ゴッサム市政府の権力は資本家と癒着し低層の市民生活など見向きもしない。
香港で政府は数年前まで財界寄りの政策が「政財癒着」と批判され、今では北京中央の意向に従属ではゴッサムシティと同じではないか。主人公のアーサーが大好きなテレビの人気バラエティ番組“Murray Franklin Show”も司会のフランクリン(ロバート・デ・ニーロ)は思いやりにあふれる善人のようで内面は冷徹でマスコミも自分たち弱者の味方ではない。香港でも、市民の声を代弁するどころか中央政府に忖度するのが大部分の大手メディア。
香港市民が〈ジョーカー〉に共鳴してしまうのは、そのような社会環境ばかりではない。
アーサーは幼いころに実親の虐待に遭い精神疾患を患うという半生で、それは市民の多くにとっては自分には経験のない特異な事例ではある。だが正義や信頼、協調といった社会的理念の欠如したリキッド・モダニティ(液状化する社会)の中で、不安やストレスはたまる一方で自己の自律神経がいつ異常を来すかもわからない。
香港では逃亡犯条例改正反対で今年6月9日に100万人デモが起きてから100日以上が過ぎるなかで、条例こそ「撤回」されたが混乱は複雑化、暴力化するばかりで、この状況で毎日を過ごすなかで精神的にもかなりの負担がある。数ヶ月前まで普通の学生だった若者が抗議活動で暴力的な行為も厭わなくなる。市民同士が政府寄りか反政府かで口論となり路上で争論となる。精神的に不安定になりつつある自分をアーサーに投影できなくはない。
さて、香港で過激化する抗議活動でジョーカーはいるのか。すでに運動の初期から中国寄りの思考からは「背後に米国」「CIAの陰謀」だとかカラー革命(その具体的な実体は?)、反対に抗議者側からは暴力化は中国政府の仕業、中国公安の影、暴徒化も警察の自作自演といった双方からの非難が聞こえる。日本のマスコミでも「香港デモを指揮する“謎の組織X”が存在する?」というような記事もあるが「さまざまな抗議行動が慎重な検討と作戦立案の上で行われていることは間違いない」と言うまで。どれも何らかの形で「組織」の犯行とは言ってみせるが特定のジョーカーは特定できないようだ。
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