メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

「香港は少なくともゴッサムシティよりはましだ」

映画「ジョーカー」に共鳴する香港市民の不安と興奮

富柏村 ブロガー

映画の中のゴッサムシティそのままの混乱

 香港では逃亡犯条例改正反対で今年6月9日に100万人デモが起きてから100日以上が過ぎるなかで、条例こそ「撤回」されたが混乱は複雑化、暴力化するばかりで、この状況で毎日を過ごすなかで精神的にもかなりの負担がある。数ヶ月前まで普通の学生だった若者が抗議活動で暴力的な行為も厭わなくなる。市民同士が政府寄りか反政府かで口論となり路上で争論となる。精神的に不安定になりつつある自分をアーサーに投影できなくはない。

拡大道路に火を放つデモ隊=2019年10月6日、香港

 アクション映画は「非現実」が前提で、だからこそ他所のこととして見ていて娯楽なのだが、香港の今にとって〈ジョーカー〉のゴッサムシティは現実を映画化したような錯覚に陥る。

 アーサーは最初から悪人なのではない。偶然のきっかけで自己防衛すべきところ殺人を犯し、それでもそれを「事故」として自己消化し日常生活を送ろうとした。だが社会と不信への他者が募り、ピエロの化粧をした/道化の仮面を被った自分がゴッサムの低層階級の人々から人望を得ていると自己認識したことで臆病な自分に武勇が生じる。

 警察に追われるアーサー、列車の中で同じマスクをした市民の混乱に紛れ込み、自分の分身のような「マスクたち」が警官を痛めつけ、その隙に逃げのび路上でのダンスも軽快に。こうした姿が香港の黒シャツ姿の武力抗議を続ける若者たちに映る。実際に彼らは警察の催涙弾など巧妙に避けたり逃げたあとに、警察を嘲るように踊ってみせたりする時がある。

 (肝心の映画の筋に関わることはここでは書かないが)私たちは、この映画はジョーカーの誕生で、権力は存続し続け社会問題は何も解決せず、ジョーカーが必要悪のように悪の権化となり社会正義のためにバットマンが現れることを知っている。

拡大封鎖された地下鉄旺角駅
 それが「現実」であるならば映画を見ながら、香港が今かかえる社会問題も永遠に解決せず、混迷したまま社会不安の日々と生活が続くのか、と暗澹たる思いに陥る。2時間余の映画が終わり、映画館を出ると場所によってはゴッサムシティそのままの混乱がそこに現実としてあるのだ。地下鉄駅は壊され出口に放火され、運転見合わせで道路封鎖で警察の催涙弾。救われようもない。だが、それでも香港の市民にとっては、この映画にあまりにリアリティを感じるため「面白い」と評判になる。映画が終わったあとの観衆の連れとの会話はとても高揚、興奮している。さまざまな場面を記憶が薄れないうちに話したい、と。「香港は少なくともゴッサムシティほどひどくはないね」という声こそ香港市民の感じる小康か。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

富柏村

富柏村(ふ・はくそん) ブロガー

茨城県水戸市生まれ。1990年より香港在住。香港中文大学大学院修士課程(文化人類学)中退。フリーランスでライターもしていたがネット普及後は2000年からブログで1日もかかさず「 富柏村香港日剩」なる日記を掲載している。香港での日常生活や政治、文化、飲食など取り上げ、関心をもつエリアは中国、台湾やアジアに広く及んでいる。香港、中国に関する記事の翻訳もあり。

富柏村の記事

もっと見る