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自民が城で公明は石垣。連立20年で一蓮托生に

小選挙区と自公連立で激変した自民の選挙構造。この関係を公明はどういかすか

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

与党党首会談に臨む安倍晋三首相(右)と公明党の山口那津男代表=2019年9月11日、首相官邸、

 早いもので、自民党と公明党が連立を組むようになって、この10月5日で20年を迎えたという。このことについて前日の4日、安倍晋三首相は「平成の政治、令和の政治に安定を与えた」と語り(朝日10月6日付朝刊)、「風雪に耐えた連立政権」であり、「ビューティフルハーモニー」(日経10月5日付朝刊)と自讃してみせた。

 日経の調査によると、G7の国々の中でも、自公連立の安定度は突出しているという。また、自公が連立を組んだ1999年を境に、前後7回の衆院選で自公の与党が得た議席の割合を比較すると、2000年衆院選以降の平均は65%で、1996年衆院選以前の平均より、12ポイントも高いという。連立の効果は確かにあるようだ。

 「政治の安定」が極めて大事であるのは言うまでもない。大いに誇っていいことだ。しかし、政治に対する評価はそれだけではない。むしろ、「何を目指し、何を実現したか」が優先されるべきだろう。では、自公連立では何が実現されたのか。あらためて見てみたい。

特殊な政治状況から生まれた自公連立

連立へ大詰めの自公党首会談を前に握手する小渕首相(右)と神崎公明党代表=1999年7月7日、国会内
 自公連立(発足時は自由党も含めた自自公連立だった)は、20年前の小渕恵三政権が直面していたすこぶる特殊な政治状況から生まれた。

 当時、日本では大手金融機関の破綻が相次ぐなど、金融危機のまっただ中にあった。ところが、それに対応するべき国会は、1998年夏の参院選で自民党が大敗し、参院の過半数を割ったため、衆参の多数派が異なる「ねじれ」の状況に陥り、迅速な対応が難しかった。困った自民党はやむを得ず、公明党に協力を求めたのである。

 この一時的、緊急避難的な対応が、結局のところ、その後も続いて、定着することになる。10年後の2009年には政権交代が実現し、民主党政権が成立したが、それから自民党に政権が戻るまでの3年間も、公明党は自民党と共に野党として“冷や飯”を食い、一緒に逆境を耐え忍んだ。それによって、両党の絆は一層強まった。

 従来、自民党と公明党の“体質”は、水と油ほど違うと見られてきた。おそらく、それは今も同じに違いない。にもかかわらず、そんな異質な政党同士の連立がなぜ、20年も続いてきたのか。そして、これからも続いていきそうに見えるのか。

自民党が公明党を必要とするワケ

 その点は、両党のどちらが、より強く相手を必要としているかを考えれば分かる。

 端的に言って、仮に連立解消などということになれば、それによる傷は、公明党より自民党のほうが格段に大きい。致命傷になると言ってもいいだろう。

 それは、自民党の国政選挙、とりわけ衆議院選挙の戦略構造が年を追って大きく変化したことに由来する。

 自民党の選挙(特に衆院選)の運動体は、①衆院選への小選挙区比例代表制の導入、と②公明党の連立、によって、質的に激変したのである。

 まず、①によって、中選挙区時代に自民党の選挙の主軸であった個人後援会が衰弱、それにかわって党の主力支援組織(農業団体、経済団体、建設関連、特定郵便局、遺族会、医師会など三師会)が全国本部と連携し、個別候補の選対をも牛耳るようになった(この構造変化の詳細は別の機会に譲る)。

 くわえて、②の結果、公明党とともに選挙を戦うこととなり、選挙の実働部隊を公明党に依存することになった。選挙における、設営、遊説、動員などに、公明党ほど手慣れた政党はない。「選挙の手足」としてボランティアで動いてくれるのは、公明党の主たる支持母体となっている創価学会員だ。

 かつての自民党選挙は、地元の主婦が炊き出しをし、口紅さえつけない農家の奥さんなどが慣れない接待役をする。選挙カーに乗り込むウグイス嬢も急ごしらえ、演説会場の設営や遊説も、小中学校の同級生や地元の人たち。総じて、ふだんはネクタイを着用していないような人たちが主力であった。

 前述したように自民党の主力支援組織が運動の中心を担うようになると、これまで選挙の手足となっていたこのような人たちが、どうしても外にはじき出される。そこを組織的に補充したのが、公明党、とりわけ創価学会員であった。

自民党候補を落選させる力を持つ公明党票

10月5日で自公連立政権発足から20年となることについて取材に応じる安倍晋三首相=2019年10月4日、首相官邸
 自公両党の選挙における役割分担は、もちろん当初から意図したものではない。20年の間に自然に形成されてきたものだ。

 私には、このような両党の関係が、自民党が城で、公明党がそれを支える強固な石垣のように見える。自民党にとってもはや、石垣が崩れれば、自分たち城もまた崩壊してしまうほど、一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係に至りつつあるのだ。

 小選挙区での公明党票は、一区当たり2~3万票と言われている。この票は、候補者を単独で当選させる力はないが、なければ自民党候補を落選させる力は持っている。かつて私は公明党票を失えば当選できない自民党議員の概数を試算したことがあるが、少なめに見ても数十人が落選するという結論を出した。

自民党の“暴走”を抑止するブレーキ役を期待したが……

 公明党は、これまで自民党の手が届かなかった有権者層に入っていくことができる。そして、自民党にかわって現与党の正しさ、必要性を説いてまわれるのだ。

 私は自公が連立した当初から、この枠組みの中で公明党が自民党の“暴走”を抑止するブレーキの役割を果たすことを願ってきた。公明党がなにより最優先の旗印としてきたのは、「平和」である。この旗を使って、ともすれば暴走しがちな自民党の外交・安保政策を軌道修正する役割を果たすことに期待を寄せてきた。

 しかし、現実の公明党を見ると、イラク戦争にせよ、集団的自衛権にせよ、その対応については失望を禁じ得ない。政府・自民党の方針に、アクセルを踏んでいるとは言わないが、ブレーキを踏んでいると感じてもいない。

消費税増税にあたり軽減税率は必要だったか?

 10月1日から始まった消費税増税にあたり、軽減税率の導入に関して、公明党が真剣に努力をしたことは認めるが、それが本当に必要なことだったのか、真摯(しんし)に検討してほしい。“簡素”や“明快”も優れた税制に必要な要件であるからだ。

 この夏の参院選の立候補予定者を対象にメディアと大学が実施した調査では、憲法改正について、自民党候補では賛成が9割を超えていたのに対し、公明党候補では17%に過ぎなかった(朝日7月3日付朝刊)。

 今国会で憲法改正に向けて本格的な一歩を踏み出そうとしている安倍・自民党にどう対峙(たいじ)していくのか。20年の連立を経て、自民党と円熟した関係を築いたともいえる公明党の動向に、世論は厳しい目を向けている。