藤原秀人(ふじわら・ひでひと) フリージャーナリスト
元朝日新聞記者。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長などを経て、2019年8月退社。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
“中国屋”の記者がみた、民主化への渇望を抑えらない香港の現実
街を歩くと、あちこちで10月1日を中華人民共和国の建国を祝う「国慶節」にはさせない、という叫び声を聞いた。路上に貼られた習近平・中国国家主席のポスターが踏みにじられ、中国国旗の五星紅旗が焼かれている。
1日はどうなるのか?ネット上での集会やデモの予定を探した。香港のあちこちでデモや集会があるようだった。ただ、天安門事件の追悼集会が毎年開かれる香港島のビクトリア公園で予定されていた大規模集会やデモ行進は、当局の許可が下りていなかった。
1日は早起きをして街を見て回った。最寄りの地下鉄・湾仔駅は、デモ隊に襲われ閉鎖されたままだ。ならばと、近くの埠頭からスターフェリーに乗って対岸の九竜半島尖沙咀(チムサーチョイ)を目指すことにした。
中国国旗を手にした人たちと乗り合わせた。彼らは尖沙咀で他のグループと合流し、記念写真を撮った後、国歌「義勇軍行進曲」の合唱を始めた。中国特派員として数えきれないほど耳にしてきた歌だ。
立ち上がれ
奴隷となることを望まぬ人々よ
我らの血肉で新たな長城を築こう
五輪の表彰式などで多くの日本人にもなじみがあるが、もともとは抗日戦争で自由と解放を求めて歌われたものだ。
合唱が終わると、「中国加油」(がんばれ中国)が連呼された。香港にも当然、今の中国を愛する人がいる。1日付の香港各紙は反共の「リンゴ日報」を除けば、建国を記念する祝儀広告であふれていた。
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