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ベトナム戦争終結後、未来が閉ざされていく危機感

 南さんの出身地は、南ベトナムのサイゴンだ。「記憶に残っている街は、日本の昭和時代のような光景と重なるのではないでしょうか。今の子どもたちみたいに室内でゲームをするのではなく、とにかく外で、汗をかいて体全体を使って遊ぶんです」。路上でサッカーをしたり、草木で即席の遊び道具を作ったりと、南さんの脳裏にも懐かしい風景が浮かぶという。

 けれども世界はその頃、東西冷戦期の真っただ中だった。その対立が直接の戦火となってしまったのが、ベトナム戦争だった。1975年4月30日、サイゴンは陥落。北ベトナムが勝利したことで、社会主義体制となる変化の中、「自由な空気は急激に奪われていくこととなった」と南さんは語る。

 南さんの祖父、父、叔父は南ベトナムの政権関係者だった。特に父は軍関係者だったため、サイゴン陥落後に逮捕され、山奥の収容所へと連れて行かれてしまった。残された家族も散り散りの場所に移住を強いられ、南さんは祖父母と共に暮らすことになる。

 「あの当時は、少し離れた場所に行くにも、公安の許可が必要とされていました。学校でも南出身者と北出身者は分けられていましたし、私たちのような南の政権関係者の家族だった人間が、どんなに優秀な成績をおさめても、まともな進学や就職ができるのかも分かりませんでした。このままでは未来が閉ざされていく、という危機感がありました」。

自由を求め国外へ、背中を押してくれた祖父

 ベトナム戦争の終結以前から、すでに多くの人々が国外へと逃れていた。サイゴン陥落後、国外逃亡がもし見つかれば、逮捕されることは必至だった。それでも危険を冒して海を越えようとする人々が、毎日のように犠牲になり続けていた。南さんも、よりよい未来のためには、他に選択肢はないのではないかと思い始めた。

 そんな大きな決断を前に、こっそりと背中を押してくれたのは祖父だった。「将来のためには、ここに残っていても仕方がない。新しい場所で、新しい人生を送るんだ」。自由なくして、人は人らしく生きられない、と祖父は南さんに語りかけてくれた。

 密航計画が漏れないよう、他の家族にさえ相談を一切しないまま、1983年8月、14歳だった南さんは一人、木造船へと乗り込んだ。いかにも頼りなく見えたその漁船は、長さ13メートル、幅4メートルほどで、通常なら30人も乗れないような大きさだった。そこに乳児も含め、105人がぎゅうぎゅうになって乗船したのだ。「日本の朝の通勤ラッシュの電車よりも、もっと過密だと思って下さい」。身動きもとれないような船内で、食料も水も、あっという間に尽きていった。

 海へ出て4日目、薄暗く視界のおぼつかない早朝に、南さんたちは船らしい小さな灯りが彼方に揺れているのを見つけた。「皆体力はほとんど残っていないはずだったにもかかわらず、どこからか力がわいてきて、立ち上がって手を振って叫びました。“助かる”というよりも、“ああ自分はまだ生きている”という喜びだったと思います」。

 漂流している南さんたちの船を発見したのは、沖縄水産高校の実習船だった。定員75人の船に、実習生たちがすでに合わせて69人乗船していた。南さんたち105人を乗せれば、定員の倍を優に超えてしまう。それでも当時の船長は、南さんたちを助けることを即座に決め、次の寄港地まで日用品や食べ物を分け合って過ごしてくれたのだ。

 フィリピン・マニラに上陸した後、南さんは難民となった人々を一時保護のため収容する長崎の「大村難民一時レセプションセンター」へと移る。その後、日本赤十字社が設置した沖縄の本部国際友好センターで約8カ月間を過ごし、東京都品川区の「国際救援センター」で、定住のための支援を受けることになる。サイゴンが陥落する1975年以前からインドシナ3国と呼ばれるベトナム・ラオス・カンボジアから多くの難民が日本にも逃れてきていたものの、公的支援は追いついていなかった。国際救援センターは、南さんが日本に逃れたのと同じ年の1983年に、日本での自立支援が受けられる場としてようやく日本政府が開設したものだ。

拡大どこか懐かしさがこみ上げる、イエローバンブーの店内


筆者

安田菜津紀

安田菜津紀(やすだ・なつき) フォトジャーナリスト

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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