(17)宮沢が首相に就任し、金丸は人生最後の落とし穴に落ちた
2019年10月21日
小沢一郎が政治改革の旗を高く掲げて有志とともに自民党を割り、日本政界に嵐を巻き起こす前夜、日本の政治は高くて厚い壁にぶち当たっていた。
その壁の内側では、竹下登内閣がリクルート事件で崩壊し、次いで立てられた海部俊樹内閣はまさに政治改革の失敗で退陣に追い込まれた。
自民党最大派閥の会長で「キングメーカー」の名をほしいままにしていた金丸信は、派閥の若きエース、小沢を後継総裁に指名、まる一日説得に費やしたが、小沢は自民党総裁になり内閣を組織することを固辞し続けた。
小沢と並ぶ自民党の最大実力者で、しかも先輩格に当たる金丸と竹下の二人が、本音では政治改革に反対していることを知っていたからだ。先輩の最大実力者二人が反対している改革など実現できるわけがない。
小沢は、権力だけが欲しい政治屋ではない。以前の回でも記したが、ここで20世紀前半スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの嘆きの言葉を引用したい。
「今日、自己の政治的行為を不可避的な行為と感じている政治家は一人もいない」(オルテガ『大衆の反逆』ちくま学芸文庫)
自己の政治的行為を不可避的なものと感じている現代日本の政治家も前世紀前半のスペインと同様、小沢以外にはいないのではないだろうか。
つまり、オルテガの言葉を再び借りれば、小沢は「自己の根をもった生」「真正な生」、自らが選び取った政治的使命を断乎として生きる類いまれな政治家なのだ。
小沢が首相の椅子を固辞し続けると、その結果を待っていた3人のベテラン政治家が名乗りを挙げた。自民党の派閥、宏池会から宮沢喜一、清和会から三塚博、中曽根派から渡辺美智雄の3人だ。
1991年10月10日午後3時、東京・永田町二丁目にある十全ビルヂング3階、小沢の個人事務所に元蔵相の宮沢が訪ねてきた。小沢はわざわざエレベーターまで迎えに出た。3人の政策や政治姿勢を小沢が直接問い、最大派閥として推すべき人物を判断するためだった。
この時、朝日新聞をはじめとするマスコミは宮沢本命の報道を打っていた。面談の3日前、10月7日の朝日新聞夕刊1面は、最大派閥竹下派の水面下では宮沢支持が広がっていることを伝え、さらに小沢が3人に面談した10日の朝刊1面では「竹下派、宮沢氏支持へ」と打っている。
しかし、驚くべきことに、竹下派の本当の水面下である金丸、竹下、小沢の内々の相談の場では、別の人物を次期総裁に決定していた。そしてまた驚くべきことに、その結論が一夜にして翻った。しかも、その翻した人間とは――。
――1991年10月10日、小沢さんは、海部さんの後の自民党総裁、首相候補を決めるために宮沢さんや渡辺さん、三塚さんの3人と面談しましたね。このことは当時、マスコミなどから、後輩が先輩たちを呼びつけるとは何事か、小沢は傲慢ではないか、というような批判も出ました。しかし、本当の事情は、事前にどこかのホテルの部屋を予約しようとしたらどこもいっぱいだったということでしたね。
小沢 はい。しかし、それだけじゃない。その事情はもちろんそうだけど、もっと別の事情もありました。宮沢さんはちょっとはっきりしない言い方だったけど、渡辺みっちゃんは「自分たちは選ばれる方だから」とはっきり言っていました。選挙の時、候補者が有権者に頼みに行くでしょう。有権者の方から候補者の方へ行くというのはよっぽどのことがない限りありえない。だから、今回は自分の方が行くとはっきり言っていたんです。
――ああ、なるほど。
小沢 うん。だから、ああそうですか、それはすいません、という話の結果なんです。みっちゃんは明確にそう言った。
――みっちゃんというのは渡辺美智雄さんのことですか。
小沢 はい。だから、当時のマスコミなどの批判は全然当たっていないんです。最初に私の方が、私が行きますって言ったんです。そうしたら、いやそれは筋道が違う、自分の方が逆に行きますと言ってくれたんです。
――なるほど、そういうことですか。そして、どうなんでしょうか。この時にはすでに宮沢さんで決まっていたんでしょうか。
小沢 それは決まっていない。それは全然嘘。全然決まっていない。
――決まっていなかった?
小沢 奥田敬和さんの情報で朝日新聞が書いたと私は理解しています。
――奥田さんには何か思惑があったのですか。
小沢 いや、もともと宏池会に近く、みっちーさんを好きじゃないんですね。
――そういうことですか。すると、3人の話を聞く小沢さんとしては、まさに白紙状態で聞くということだったのですか。
小沢 そうそう。その時はね。世間ではいろいろと言われて、マスコミの餌食になってしまった格好でしたけどね。
――3人には政策的なことをいろいろ聞かれたわけですね。
小沢 ぼくは聞きました。
――小沢さんは三塚さんとは仲が悪かったのですか。
小沢 いや、付き合いはなかったけど、仲良くないというわけでもなかったね。
――当時の新聞記事を見ると、小沢さんは三塚さんとの面談ではずっと目を瞑って話しかけていて、最後に三塚さんが「何か質問はありませんか」と聞いたら「いや、ありません」という一言で終わったと書いてあります。三塚さんに対してあまりいい印象を持っていなかったのでは、とも思うのですが。
小沢 まあ三塚さんは清和会ですから、余計そういうふうに書かれたのかもしれませんが、3人の中ではそれほど本命の候補者というふうには受け取られていませんでしたからね。
――なるほど、そういうことですか。それで、面談の結果はどういうふうに反映されたわけですか。
小沢 それで、その面談の後に金丸さんに呼ばれて、金丸さんと竹下さんと私の3人で誰にしようかという話し合いになったわけです。
――面談の後ですね。
小沢 はい。それで、竹下さんも私も、政治状況が大変な時だから大蔵省の役人出身の宮沢さんではなく、ミッチー(渡辺美智雄)にしようとなったんです。
――ええ? 現実とは違う結論ですが、そういう話し合いになったんですか。
小沢 そう。金丸さんも「おお、それはいいなあ。それではミッチーにするか」と乗り気で、ミッチーに決まったんです、その日は。
――ええ? 本当ですか。
小沢 そうです。じゃあ、これでミッチーで決まりだなとなって。そうしたら、翌日の朝、竹下さんと二人でまた金丸さんに呼ばれたんです。何事かと思ったら、「きのう、ミッチーって言ったけど、すまん」というわけです。
――ええ?(笑)
小沢 宮沢さんにしてくれ、と言うわけです。
――金丸さんがそう言ったんですか。
小沢 そう。
――それ、おかしいですね(笑)。
小沢 だからもう、竹下さんもぼくも顔を見合わせて、どうなってんだろうってびっくりしました。金丸さんが頭を下げて「頼む、頼む」と言うわけです。「まあ宮沢にしてくれ」と頼み込むんです。だけど、後で振り返ってみると、それが失敗だったですね。
――そうですか。
小沢 うん。金丸さんの事件が起きた時、宮沢さんに電話を入れて頼んだ。なぜなら、今までのこの種のことはすべて政治団体の代表(当時はほとんど秘書)の責任として処理されて議員本人の責任を問うということはなかったから。ところが、金丸さんについては本人自身の責任を検察が追及することになったので、私はこれは公正な捜査ではないと思っていた。そこで宮沢さんに頼んだわけだが、彼は何もしてくれなかった。金丸さんという恩義のある人を。やっぱり宮沢さんを総理に推したのは間違えたんだなあと思った。官僚出身というのは恐ろしいよ。
首相になる前の竹下登を「褒め殺し攻撃」した日本皇民党事件から金丸信の巨額脱税事件までは一本の糸でつながっている。皇民党のいやがらせをやめさせるために金丸は東京佐川急便社長に暴力団稲川会会長への仲介を依頼。竹下自らの田中角栄邸訪問という条件を果たしたためにいやがらせは終わった。その後、東京佐川急便は稲川会会長の関係会社に巨額の融資や債務保証を実行。東京地検特捜部は東京佐川急便社長らを特別背任容疑で逮捕。その過程で、金丸が東京佐川急便社長から5億円の政治献金を受けていたことがわかった。金丸は政治資金収支報告書への記載漏れで略式起訴され罰金20万円の略式命令を受けたが、刑の軽さに世論が憤激。東京地検は東京国税局の応援を得て、改めて金丸の巨額脱税事件を立件した。
――話は戻りますが、金丸さんはなぜ渡辺美智雄さんから宮沢喜一さんに総裁候補を変えたのですか。
小沢 それは謎なんだよ。
――謎なんですか。
小沢 うん。一説では、金丸さんの奥さんではないかということだ。
――奥さんは、渡辺さんに何かあったんですか。
小沢 ミッチーが嫌いだったようだ。ただ、真相はわからない。ただの下司の勘ぐりとも言える。
――下司の勘ぐりと言うか、そういう説もあるということですね。
小沢 そうそう。普通に考えれば、竹下さんとぼくと3人で決めたことをひっくり返すわけはないんだ。
――しかし、金丸さんの奥さんはどうして渡辺さんを嫌いだったんですか。
小沢 知らない。そんなことは知らない。だけど、嫌いということは本当だったようだ。理由は知らないが。
――そうですか。しかし、金丸さんが結論をひっくり返した時、本当に驚いたでしょうね。
小沢 あれは、びっくりした。竹下さんと本当に顔を見合わせて驚いちゃった。唖然としました。
――その時に、小沢さんも竹下さんも、金丸さんに対して理由を聞かなかったのですか。
小沢 あの金丸さんが頼むって頭を下げたわけだから、あえて理由を聞くとかの話じゃなかった。田中角栄さんが中曽根さんを選んだ時だって有名な逸話があるじゃないか。みんな中曽根嫌いで「だめだ、だめだ」と言っていたけど、その時も金丸さんが「俺も中曽根さんは嫌いだけど、親分が黒と言ったら黒、白と言ったら白だ。それがいやなら出ていくしかない」と言って、その一言で中曽根さんに決まっちゃった。単純ではあるが(笑)。
――ちょっと単純過ぎますね。
小沢 うんうん。そう(笑)。だけど、ある意味明快でいいんだな。
――明快と言えば明快ですが、理由が明快ではないですね。
小沢 理由はね。
――金丸さんという人は、まさに古いタイプの政治家という印象ですね。
小沢 それはそうだよ。だけど、金丸さんのいいところは、自分は決してトップを望まなくて、若い者の言うことは1年生の言うことでも何でも聞いたということだ。正しいと思ったことは「うん、そうだな。うんうん」って言って。だから、ぼくの言うことも聞いてくれた。なるほどと思ったら「うん、じゃあそれでいい」と言ってくれました。
――なるほど。そういうことですか。
小沢 だけど、竹下さんはそうはいかない。
――そうですか。しかし、前日に3人で話し合った時には渡辺さんでいくという結論に達していたわけですね。それは、渡辺さんの政策も評価されてそういう結論になったわけですね。
小沢 いや、そういう単純な話だけではないんです。こういう話し合いでは。
――では、渡辺さんに決まった時は、どういう了解があったのですか。
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