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小沢一郎が明かす「宮沢内閣誕生の舞台裏」

(17)宮沢が首相に就任し、金丸は人生最後の落とし穴に落ちた

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

「頼む、頼む、宮沢にしてくれ」

――1991年10月10日、小沢さんは、海部さんの後の自民党総裁、首相候補を決めるために宮沢さんや渡辺さん、三塚さんの3人と面談しましたね。このことは当時、マスコミなどから、後輩が先輩たちを呼びつけるとは何事か、小沢は傲慢ではないか、というような批判も出ました。しかし、本当の事情は、事前にどこかのホテルの部屋を予約しようとしたらどこもいっぱいだったということでしたね。

小沢 はい。しかし、それだけじゃない。その事情はもちろんそうだけど、もっと別の事情もありました。宮沢さんはちょっとはっきりしない言い方だったけど、渡辺みっちゃんは「自分たちは選ばれる方だから」とはっきり言っていました。選挙の時、候補者が有権者に頼みに行くでしょう。有権者の方から候補者の方へ行くというのはよっぽどのことがない限りありえない。だから、今回は自分の方が行くとはっきり言っていたんです。

――ああ、なるほど。

小沢 うん。だから、ああそうですか、それはすいません、という話の結果なんです。みっちゃんは明確にそう言った。

――みっちゃんというのは渡辺美智雄さんのことですか。

小沢 はい。だから、当時のマスコミなどの批判は全然当たっていないんです。最初に私の方が、私が行きますって言ったんです。そうしたら、いやそれは筋道が違う、自分の方が逆に行きますと言ってくれたんです。

――なるほど、そういうことですか。そして、どうなんでしょうか。この時にはすでに宮沢さんで決まっていたんでしょうか。

小沢 それは決まっていない。それは全然嘘。全然決まっていない。

――決まっていなかった?

小沢 奥田敬和さんの情報で朝日新聞が書いたと私は理解しています。

――奥田さんには何か思惑があったのですか。

小沢 いや、もともと宏池会に近く、みっちーさんを好きじゃないんですね。

――そういうことですか。すると、3人の話を聞く小沢さんとしては、まさに白紙状態で聞くということだったのですか。

小沢 そうそう。その時はね。世間ではいろいろと言われて、マスコミの餌食になってしまった格好でしたけどね。

――3人には政策的なことをいろいろ聞かれたわけですね。

小沢 ぼくは聞きました。

――小沢さんは三塚さんとは仲が悪かったのですか。

小沢 いや、付き合いはなかったけど、仲良くないというわけでもなかったね。

――当時の新聞記事を見ると、小沢さんは三塚さんとの面談ではずっと目を瞑って話しかけていて、最後に三塚さんが「何か質問はありませんか」と聞いたら「いや、ありません」という一言で終わったと書いてあります。三塚さんに対してあまりいい印象を持っていなかったのでは、とも思うのですが。

小沢 まあ三塚さんは清和会ですから、余計そういうふうに書かれたのかもしれませんが、3人の中ではそれほど本命の候補者というふうには受け取られていませんでしたからね。

――なるほど、そういうことですか。それで、面談の結果はどういうふうに反映されたわけですか。

小沢 それで、その面談の後に金丸さんに呼ばれて、金丸さんと竹下さんと私の3人で誰にしようかという話し合いになったわけです。

――面談の後ですね。

小沢 はい。それで、竹下さんも私も、政治状況が大変な時だから大蔵省の役人出身の宮沢さんではなく、ミッチー(渡辺美智雄)にしようとなったんです。

――ええ? 現実とは違う結論ですが、そういう話し合いになったんですか。

小沢 そう。金丸さんも「おお、それはいいなあ。それではミッチーにするか」と乗り気で、ミッチーに決まったんです、その日は。

――ええ? 本当ですか。

小沢 そうです。じゃあ、これでミッチーで決まりだなとなって。そうしたら、翌日の朝、竹下さんと二人でまた金丸さんに呼ばれたんです。何事かと思ったら、「きのう、ミッチーって言ったけど、すまん」というわけです。

――ええ?(笑)

小沢 宮沢さんにしてくれ、と言うわけです。

――金丸さんがそう言ったんですか。

小沢 そう。

――それ、おかしいですね(笑)。

小沢 だからもう、竹下さんもぼくも顔を見合わせて、どうなってんだろうってびっくりしました。金丸さんが頭を下げて「頼む、頼む」と言うわけです。「まあ宮沢にしてくれ」と頼み込むんです。だけど、後で振り返ってみると、それが失敗だったですね。

――そうですか。

小沢 うん。金丸さんの事件が起きた時、宮沢さんに電話を入れて頼んだ。なぜなら、今までのこの種のことはすべて政治団体の代表(当時はほとんど秘書)の責任として処理されて議員本人の責任を問うということはなかったから。ところが、金丸さんについては本人自身の責任を検察が追及することになったので、私はこれは公正な捜査ではないと思っていた。そこで宮沢さんに頼んだわけだが、彼は何もしてくれなかった。金丸さんという恩義のある人を。やっぱり宮沢さんを総理に推したのは間違えたんだなあと思った。官僚出身というのは恐ろしいよ。

拡大総裁選勝利後、宮沢喜一氏は竹下派事務所を訪れ、金丸信氏と握手した=1991年10月27日、東京・平河町

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

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