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情報操作 ディスインフォメーションの脅威 

まったく無知で無防備なままの日本

塩原俊彦 高知大学准教授

積極的なロシアの情報操作

 米国上院情報問題特別調査委員会は2019年10月、85ページにおよぶ報告書を公表した。2016年の米大統領選でのロシアの積極的な干渉やロシアのソーシャル・メディア利用のかかわりを分析したものである。

 この報告書の73カ所に「ディスインフォメーション」(disinformation)という言葉が登場する。だが、残念ながら、多くの日本人はこの言葉を知らない。この概念を理解しなければ、ロシアの情報操作(manipulation)への対策さえたてられないにもかかわらず、この言葉を知らない人が多すぎる。もはやディスインフォメーション工作を行っている国はロシアだけでなく、中国、イラン、サウジアラビアなど多数におよぶ。日本国民もまたディスインフォメーションについて知り、それへの対策をたてるべき時期にある。

スターリン Shutterstock.com

 ディスインフォメーションはロシア語由来の言葉である。дезинформация(デズインフォルマーツィヤ)の英語訳なのだ。『オックスフォード新英英辞典』によると、「1950年代にロシア語のдезинформацияに基づいて形成された」と説明されている。前述した報告書では、「欺くために虚偽の情報を国際的に広めること」と定義されている。セルゲイ・オジェゴフの『ロシア語辞典』(1972年)をひもとくと、「嘘の情報の外国への導入」と書かれている。どうやらソ連政府は意図的に一種のフェイクニュースを流して、外国を混乱させようとしてきたことがわかる。だからこそ、ヨシフ・スターリンは「ディスインフォメーションの語源がフランス語のdésinformationであるかのようにみせかけよ」と決定し、ルーマニアの諜報機関の幹部、イオン・パセパもそうした噂をたてるように命じられたという話まである。これを信じるかどうかは読者次第だが、たぶん本当の話だと筆者は思っている。

 ロシアにおけるディスインフォメーションの典型例はロシア帝国の時代の「ポチョムキン村」の話だ。露土戦争の結果、クリミア・ハン国を併合したエカテリーナ2世は1787年にクリミア半島を訪問した。そのとき、この地の統治を任されていたグレゴリー・ポチョムキン将軍は統治がうまくいっていることを示すためにドニエプル川岸に家の張りぼてなどを急ごしらえして女王一行を手玉にとったという逸話がある。

 本当かどうかは不明だが、この話は半ば神話化して、「実際よりもよく見せかけること」を、さらに転じて「でっち上げ」のことを、「ポチョムキン村」というようになる。これがまさにディスインフォメーションそのものであり、「意図的で不正確な情報」を意味している。広義に解釈すれば、ディスインフォメーションは外国に対するものだけではなく、国内向けにも活用されている点にも留意しなければならない。

インターネットの普及で高まる破壊力

 ディスインフォメーションはいわば情報操作の手段の一つである。そう考えると、ディスインフォメーション自体は欧州にも中国にも日本にも古くからみられた。

 皇帝コンスタンティヌスが321年にローマ教皇シルヴェステルにローマ帝国の西半分を贈ると明記した文書、「コンスタンティヌスの寄進状」はその典型かもしれない。この寄進状が教皇の西欧所有の根拠となり、神聖ローマ皇帝も国王も諸侯も教皇から統治を委託されているだけの存在となる。教皇自体が支配するイタリア中南部があってもなんのふしぎもないという幻想がまかり通ることになるのだ。この場合、ローマ教皇の権威に敵対する勢力を手なずけるために虚偽の情報を活用したわけである。これが偽物であることは15世紀になって判明する。

 中国の孫子を読むと、敵を欺くことの重要性が書かれている。軍隊の行動特性や指針をしめした軍争篇で、「迂(う)を以って直(ちょく)となし、患(かん)を以って利となす」と指摘している。つまり、わざと遠回りをして敵を安心させて、敵よりも早く目的地につき、不利を有利に変えよというのだ。あるいは、有名な「始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵、拒(ふせ)ぐに及ばず」という言葉が地形における戦い方を書いた九地篇にある。最初は処女のようにふるまって敵を油断させ、そこに脱兎のごとき勢いで攻めたてれば、敵は防ぎきることはできないというわけだ。

 インターネットを通じて、迅速かつ安価に情報が世界全体に広がる時代に突入して、ディスインフォメーションはこれまでの以上の破壊力をもつようになる。だからこそ、

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