野球人、アフリカをゆく(14)タンザニアの学校でついに野球が必須の競技に!
2019年10月19日
〈これまでのあらすじ〉
危険地南スーダンに赴任した筆者は、過去、ガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験をいかし、首都ジュバ市内に安全な場所を確保し、野球教室を始めた。初めて野球を目にし、取り組む南スーダンの子供たちとの信頼関係も徐々にできていく。試合ができるレベルになってくると、試合前に整列し、礼をする日本の高校野球の形も導入した。実は、こうした独自の「野球哲学」が確立されたのはタンザニア野球だった。
常夏のタンザニアは、12月も気温が軽く30度を超える。
第6回タンザニア甲子園大会の最終日の午後。日曜日の青い夏空が広がるこの日、私は決勝戦を観るために球場のネット裏の一番見やすい客席の最上段にいた。
もともとコンクリートで階段状になっているところに椅子を搬入し、観客席風になっている。最上段といっても4、5メートルくらいの高さだが、両軍ベンチから外野のフェンスまで球場全体を見渡せる。屋根で日かげになり、風通しもよく、居心地がいい。
決勝を戦うのは、校庭を球場建設に提供した地元のアザニア校と、キリマンジャロの麓(ふもと)にあるサンヤジュウ校。両校とも過去に優勝経験のある強豪校だ。
ネット裏はすでに応援する生徒たちで満員だ。カラフルな装いの生徒たちが、明るく高らかに声をそろえ、歌いながら盛り上がっている。数えきれないくらい挙げられる野球の魅力だが、その一つが「応援」だろう。
観客席ができて、観戦や応援の楽しさを人々は知った。野球の魅力がさらに浸透するだろう――そんなことを考えていると、大学生の高橋海輝(みつき)が元気よく階段を駆け上がってきた。アフリカ野球友の会に入り、学生部リーダーとなったばかり。ちょっとおっちょこちょいだが勢いがあり、いつも元気がいい。
◇「第6回タンザニア甲子園大会」の映像
「お、海輝君、ありがとう。どれどれ……」
デイリーニュース紙とミチェゾ紙。共に一面に首相が出席した開所式の写真が掲載されている。文字はタンザニアの国語であるスワヒリ語だ。
「これじゃ、読めないですね」と苦笑する高橋に「ンチンビさんに訳を聞かせてもらっているんだよ。すごく大事な記事だから、永久保存版にしないと」と言いながら紙面を開き、写真がたくさん掲載されているページを見た。
「開会式の写真がたくさん載ってますね!」
高橋が私の隣に腰を下ろし、覗き込む。
「この記事は開所式で首相が何を話したかが書かれているんだよ」
「あの長かったスピーチですね!」
高橋は写真係として炎天下でカメラのシャッターを押し続けたのだろう。長いスピーチできっと大変な思いもしただろう。私はねぎらいの気持ちを込めて、少し丁寧に解説した。
「あ、はい。何を言ってるのかわからなかったのですが」
首相は聴衆のほとんどがタンザニア人であることを意識し、スピーチをすべてスワヒリ語で通した。英語は得意だがスワヒリ語は分からない高橋を含め、球場にいた日本人はみな蚊帳の外だった。
「あの開会式の後、ンチンビが顔色を変えてやってきてね。首相は素晴らしいスピーチをした、と興奮気味に言うんだよ。その説明をきいて鳥肌が立ったんだ」
「どんなすごいことを言ったんですか?」
ちょっともったいぶった私の言い方に素直に食いつく高橋。
「かっこいいっすね!」
「政治家だから話し方がうまいんだろうね。一つ目は、日本の皆さんの協力で建設していただいたこの球場をハイレベルにメンテナンスしていくこと。大事なことだが大したインパクトはない」
「そうですね」
「ふたつ目の指示。2020年は東京オリンピックだ。日本の支援に報いるためにも、オリンピックにタンザニアが出場するため最大限の支援をするように、と言ったらしい」
「なるほど、それは盛り上がりますね」
「夢がある話だし、ちょうど日本でオリンピックが行われるから、話がつながるよな」
「でも、オリンピックはさすがに難しいんじゃないすか?」
「それを言っちゃあおしまいよ。まあ、会場にいた選手たちを勇気づけたかったんだろうね」
「三つ目はなんですか?」
「これが実にすごい指示なんだよ」
私は開会式直後にンチンビから聞いて思わずアドレナリンが噴き出るような興奮を覚えたのを思い出し、自然と声のトーンが高くなった。
「タンザニアのセカンダリースクール(中学、高校)、プライマリースクール(小学校)の全国体育大会の種目に、野球を加えるようにという指示だったんだ!」
「……」
ふたりの温度差が顕著になった。目がきらきらと輝く“少女漫画状態”の私に、きょとんとする高橋。親子ほどの年齢差がなかったら、「はあ?」と馬鹿にされていただろう。
「野球ができる機会が増える、ということなんですかね?」
おそらく瞬間的に意味を考えたのであろう高橋に、「違う。そんな単純なことじゃないんだよ」と私。
「もっと深い意味がある。全国大会というのは、要するにその競技が学校の課題となるということだ。陸上、バレー、バスケット、サッカーは、全国大会に出るために、学校がその競技を生徒たちに教えなければならない科目になっている」
「野球も学校で必須競技になるということですか?」
「その通り。タンザニア全国に公立校だけで5千校近くあるセカンダリースクールが、野球をやらなければならなくなるんだよ。小学校なんて2万校近くもある。これまでは、野球をやりませんか、野球ってこんなスポーツなんですよ、と営業してきたが、これからはカウンター営業になるんだよ」
「カウンター営業?」
「つまり、野球を導入したいので、道具をください、教えてくださいって、向こうからやってくるっていうことよ」
「野球が売り手市場になるってことですね」
「そう!日本では野球は最大のメジャースポーツだけど、アフリカではほとんど知られていない超マイナースポーツ。だから、野球の普及活動がいばらの道なわけ。1996年にガーナでアフリカ野球と出会ってかれこれ24年。アフリカ野球友の会を立ち上げて17年。マイナースポーツの野球は、いまだにマイナースポーツなんだよ」
事態を飲み込めてきたらしい高橋は、「なんだかワクワクしてきます!」と目を輝かせた。
大げさではなく、これはまさにアフリカ野球界の悲願だった。
ほっとけば誰も見向きもしない野球を地道に紹介し、誘い、少しずつ少しずつ野球人口を増やしてきたが、20年以上たっても広がりは微々たるもの。首相の三つ目の指示は、満塁ホームラン3発!なみの大量得点を生み出す快挙と言える。
「タンザニア野球の未来はバラ色ですね!」とはじけるように言う高橋に、私は「ところがね、そうでもないんだよ」と水を差した。
「えっ? なんでですか?」
「だって、考えてごらんよ。全国の小、中、高校から野球をやりたいから、道具をくれ、教えてくれ、と言われて、どうやって対応できる?人口5000万人のタンザニアの学校数は、公立と私立合わせたら3万校以上だよ」
ハッとした表情を浮かべた高橋。「確かに、野球道具がないっすね」と声のトーンが落ちた。
「そうなんだよ。需要が膨大に増えても今の時点ではすぐに対応できないし、日本国土の2.5倍の面積があるタンザニア各地の学校に、野球を教えられる人をどれだけ派遣できるのか。現実的には対応できないよね」
「…なるほどですね…」
「大量に野球道具が必要になるということは、マーケットができるということだろ?だったら、作って売ればいいんだよ」
「なるほど!つまり野球産業。野球ビジネスですね!」
「タンザニアなら職人の人件費も安いし、素材も安価。メイド・イン・タンザニアの野球道具ができたら、既に野球人口が多い隣のウガンダや、大国ケニアにも輸出できるかもしれない」
実際、かつてガーナで野球の普及活動をしていた頃、一時爆発的に野球人口が増え、それに対応するため、皮革職人にグローブを解体させて研究してもらい、メイドインガーナのグローブを試行的に5つほど作ったことがある。ジンバブエやブルキナファソなど、JICAの青年海外協力隊の野球隊員が、バットやグローブを製作した事例もある。アフリカ製の野球道具は決して夢物語ではない。
野球人口が増えればマーケットができる。ニーズに合わせて道具が生産され、提供できるようになれば、野球人口が増える。首相のスピーチは、タンザニア野球の全国的発展の起爆剤となるかもしれない。
決勝戦の後は閉会式だ。全チームが集まり、表彰式があり、メダルの授与、参加証の授与などがある。ンチンビ事務局長がいつものようにハンドマイクを片手にテキパキと仕切り、夕暮れのなか、第6回甲子園大会は無事終了した。
「ンチンビさん、お疲れさま!素晴らしい大会だった。司会ぶりも年々うまくなるな」というと、「ガハハハ」と笑いながら、「選手たちに『Discipline(規律)、Respect(尊敬)、Justice(正義)』のスローガンが浸透しているから、開会式も閉会式も司会がやりやすいんですよ」という。
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