牧野愛博(まきの・よしひろ) 朝日新聞記者(朝鮮半島・日米関係担当)
1965年生まれ。早稲田大学法学部卒。大阪商船三井船舶(現・商船三井)勤務を経て1991年、朝日新聞入社。瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金(NED)客員研究員、ソウル支局長などを経験。著書に「絶望の韓国」(文春新書)、「金正恩の核が北朝鮮を滅ぼす日」(講談社+α新書)、「ルポ金正恩とトランプ」(朝日新聞出版)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
李首相訪日で日韓首脳会談開催への道が開けるか
最悪の状態に陥っていた日韓関係に変化の兆しが出てきた。契機は文在寅韓国大統領の側近だった曺国法相の辞任と政策の行き詰まりだ。
関係者は、一番望ましいシナリオとして、李洛淵首相の訪日を契機に対話の雰囲気を盛り上げた後、11月22日に失効する期限が迫る日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)延長と、徴用工や輸出管理規制などを含む包括的な日韓協議の開始での合意を期待している。
うまくいくかどうかは、お互いの政治判断にかかっており、目が離せない展開となりそうだ。
文在寅大統領は14日、台風19号の被害を受けた日本の安倍晋三首相に対し、慰労と哀悼の電報を送った。
韓国大統領府によれば、文氏は「被害を受けた多くの日本国民が一日も早く平穏な日常を取り戻すことができるよう、心から祈っている」と語った。これは、韓国の日本専門家の間で、「両首脳間の不信感を取り除くための対話を呼びかけるメッセージだった」と受け止められている。
日韓メディアによれば、文氏は、22日の天皇即位式に出席するために訪日する李洛淵首相に安倍氏に対する親書を託すという。朝鮮日報は、李氏が安倍氏と会談する際、11月の日韓首脳会談開催を打診する可能性があるとも報じた。日韓関係筋の1人は「どのような展開になるのか、予測が難しいが、文政権の対日政策に変化の兆しが出てきたことは間違いない」と語る。
日本に対し、強硬一辺倒だった文在寅政権がなぜ、対話を模索するようになったのだろうか。
大きな契機は10月3日にソウル中心部の光化門で行われた大規模な「反文在寅集会」と、同月14日の曺国法相の辞任劇だったという。
保守派が中心となった集会には、40万人以上が参加したという。保守派の一部は過去、「太極旗集会」と呼ばれる同様の集会を週末ごとに開いてきたが、朴槿恵前大統領の釈放も同時に呼びかけてきたため、保守派の広い支持を得られずにいた。ところが、3日の集会は「反文在寅」だけを旗印に結集したため、保守系の反朴槿恵派も取り込み、一気に規模を拡大させることに成功した。
文氏と側近たちは、この集会を目の当たりにして危機感を募らせたという。わずか3年前、自分たちが同じように光化門前に座り込み、朴槿恵政権を崩壊に追い込んだからだ。
そして、それから11日後、曺国法相が自身や家族を巡る様々な疑惑の責任を取って辞任した。曺氏は文氏の最側近であり、場合によっては次期大統領選の有力候補にもなり得ると言われた大物だった。同時に、曺氏は結果として文政権の対日強硬政策を演出してきた張本人でもあった。
曺氏は、自身のフェイスブックに日本企業に韓国人元徴用工らへの賠償を命じた大法院(最高裁)判決について「否定や非難、歪曲する人は親日派(売国奴の意味)と呼ぶべきだ」と投稿してきた。自身の政治姿勢を、過去の抗日独立運動などに重ね合わせる発言も行った。
関係筋の1人によれば、韓国大統領府内でも、こうした曺氏の言動の背景について、自身を進歩(革新系)陣営の象徴に置き換え、疑惑を覆い隠す思惑があったのではないかという見方が広がっているという。
文氏は、曺氏を巡る疑惑が拡大する一方だったため、曺氏を辞任させる意向をほぼ固めていたが、10月3日の集会が決定打となったという。
これまで、文氏が曺氏を切り捨てても、逆に難局を乗り切るために、さらに日本叩きを加速させるという見方も出ていた。しかし、曺氏が「反日・抗日」の象徴となっていたため、逆に日本との和解を求める声が力を得ているようだ。
韓国の今年の経済成長率が2%を切る見通しになるなど、経済状況が悪化していることに加え、南北政策を含む外交分野で成果が出ていないことも影響したとみられる。
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