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小沢一郎「必ず天下を取ってみせる。心配するな」

(18)竹下派分裂から自民党離党、そして政界再編へ。二大政党政治への強い思い

佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長

竹下派分裂~細川政権誕生

 小沢一郎の人生と戦後日本政治の流れの大きな屈曲点となった1992年、93年の出来事についてはその経緯を改めて記しておく価値がある。現代政治史の中心にいる小沢の考えと歴史の経緯との関連を踏まえなければ、日本政治の現在地点も正確には捉えきれないからだ。

 前年に宮沢喜一が首相になったことを受けて1992年1月に金丸信が自民党副総裁に就任した。しかし、東京地方検察庁特捜部と警視庁はその翌月、東京佐川急便の強制捜査に着手、暴力団「稲川会」の本部などを関連で家宅捜索した。同年8月、捜査の過程で東京佐川急便から金丸に5億円の献金が渡っていたことがわかり、政治資金規正法(量的規制)違反の疑いがあることから金丸は副総裁を辞任した。

 同年10月、さらに金丸は衆院議長に議員辞職願を提出すると同時に竹下派会長も辞任した。このため、竹下派内部では、後継会長をめぐって小渕恵三を推す竹下登側と羽田孜を立てる小沢一郎グループの対決の構図が浮かび上がった。竹下側は羽田たちが欠席した幹部会で小渕の会長就任を決め、このことが竹下派分裂の決定的要因となった。

 分裂のバックグラウンドには、小選挙区制の導入などで日本政治の改革を目指す小沢グループと、本格的な改革には消極的な竹下側との政治思想、政治姿勢の断裂があった。

 小沢グループは羽田を立てて「改革フォーラム21」を結成。翌1993年6月には改革フォーラム21は宮沢内閣不信任案に賛成票を投じ、不信任案可決、衆院解散に追い込んだ。

 一方、政治資金規正法の量的規制違反を認めた金丸は最高刑の罰金20万円の略式命令を受けたが、「5億円に対する20万円」という金額のアンバランスに世論が沸騰。世論に押される形で東京国税局は東京地検特捜部に金丸を脱税で告発、93年3月に特捜部は金丸を巨額脱税の罪で起訴した。

 宮沢内閣を瓦解させた改革フォーラム21はその直後に自民党を離党、「新生党」を結成した。新生党を率いた小沢は、総選挙後に非自民党勢力を結集させて細川護煕政権を誕生させた。

 磐石と思われていた自民党政権を倒して、日本政治にダイナミズムを失わせていた1955年体制を終焉に導くことができたのは、自らに帯びた使命感を最後までぶれずに貫いた小沢という希有な政治家が存在したからだった。

拡大自民党の小沢一郎・元幹事長を中心とする新集団「改革フォーラム21」による新派閥「羽田派」の結成式で、乾杯する羽田孜代表(左から2人目)と小沢一郎氏(左端)=1992年12月18日、東京・永田町

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

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