霞が関の片隅で起こった日本の劣化が日本の社会全体を蝕む前に私たちがするべきこと
2019年10月22日
日本に大きな被害をもたらした台風19号が関東平野に迫りつつあった10月11日金曜日の21時頃、連休明け15日の予算委員会での森ゆうこ参議院議員の質問に関する事前通告が遅いという、「官僚」を名乗る複数のアカウントからのツイッターに投稿が流れ、これに対して森議員が「所定の17時前の16時30分に提出済み」と反論し、それを産経新聞がツイッター投稿をそのままなぞる形で報道して議論を呼びました。
この騒動はその後、元財務官僚である高橋洋一氏が14日にインターネット番組「虎の門ニュース」で、「私も通告書を見た。役所の方から来たものだ」と発言。まだなされていない森議員の質問の詳細を語り、野党から「情報漏洩」との批判が上がると、「事前通告された質問は公務員が守秘義務を負う秘密には当たらない」「むしろ事前公表すべきもの」と主張し、更なる議論を呼びました。なお直近で高橋氏は、「実は見ていない。見てきたように語ったものだ」と発言を変えていますが、氏にメールが渡ったことを、後述の通り内閣府の事務局が確認しています(朝日新聞デジタル2019年10月18日)。
私には、この問題は日本の官僚システム、さらには社会制度全般の劣化を映しているものと思えてなりません。そこで、本稿では、
(1)質問通告制度の概要と意義。そもそも質問通告とはどういう制度で、なぜ必要で、それが遅れると何が起こり、その問題点を回避するにはどうしたらよいか
(2)事前通告に仮に「遅れ」があった場合(今回の問題では、参議院事務局は「16時30分に受け取った」としており、遅れはありませんが)、「官僚」が匿名のアカウントで議員をあげつらう事は適切か
(3)事前通告を第三者である民間人に漏洩することに問題ないか
について論じたいと思います。
しかし、知事であれ大臣であれ、所轄の事項は極めて多岐にわたり、そのすべてに精通するのは極めて困難で、事前通告なしでは、どうしても答えられないことが出てきます。仮に精通していても、行政としての方針を答えるには、関係者の利害調整等が必要なものも多く、事前通告なく質問されると、「関係者で調整してから答えます」としか言いようがない場合も出てきます。
従って、実のある答弁をするためには、質問内容を通告してもらうことは、調査と利害調整をしたうえで行政の方針を答えるために、ある程度やむを得ないことと思われます(ただし、それは答弁側が「実のある答弁にしよう」とする意思があることが前提であり、これがないと、単に質問をはぐらかす方法を練り上げるだけになります)。
それでは、事前通告があった場合、どのようにして答弁が作られるのでしょうか(県の答弁の作り方と官僚の方からの伝聞による推測になりますが、おそらくそう違わないと思います)。
事前通告があると、質問が担当省庁の担当部署の担当者に振られ、担当者が下原稿を書きます。誰が答弁するかによって局長、官房、大臣秘書官等が審査・決裁し、すべてをクリアすると答弁原稿ができあがります(知事の時は、私が最終的な答弁審査をしていましたが、官僚の方からの情報によると、総理・大臣等は決裁せず、大臣秘書官の決裁で終わるとのことです)。審査・決裁にそれぞれ一発でOKがでれば話は早いですが(この時点でも時間はかなり遅くなっていますが)、各段階で修正が入ると、再作成や再調整に時間を要し、作業はさらに夜更けに及ぶとのことです。
並行して、答弁する大臣に質問と答弁の内容を理解してもらうための「レク資料」が作成され、答弁前に大臣にレクをする必要があります。そのため、前日の深夜に答弁原稿を完成させ、やっと帰宅したら数時間後には省庁に戻り、国会審議の前に大臣レクをするという手順になるとのことです(それぞれの担当者は別だったりするようですが)。
たしかに苛酷な作業で、質問通告が遅れるとこの膨大な作業がすべてストップし、多大な人員がなすすべもなく待ちぼうけをくらう訳ですから、愚痴のひとつも言いたくなるのだろうと思います。
私の知事時代も、知事答弁の作成では概ね上記の手順を踏んでいたのですが、多少自画自賛的になりますが、ひとつだけ手順を変更しました。私が行う答弁審査の前に、答弁原稿とレク資料(知事は答弁原稿の最終決裁者であると同時に答弁者なので、審査とともにレクが行われます)を、イントラネットを経由してデジタルデータでもらい、帰庁後や休日の時間も使って事前に資料を読んで問題点を把握し、疑問点や変更点、私が考える方針をワードの修正履歴も利用して、あらかじめ文書で担当部署に示しておいたのです。
極めてシンプルですが、これだけで担当部署はこちらの予定に縛られることなく情報を挙げられ、双方が問題点を把握しているので審査・レクの時間は劇的に減り、担当部署は「知事の意向」を事前に知ったうえで利害調整できますので、多くの場合、答弁原稿は一発で確定します。一発で確定しない場合でも方針が明らかなので、さほどの時間を要せず調整が可能です。私の知事時代、それまでは深夜に及ぶこともまれではなかった答弁原稿の作成があまりに早く終わるために、関係各所から随分驚かれました(なお世耕前経産大臣は、より徹底したやり方で答弁作成の迅速化を図っています=世耕氏のツイッター参照)
と同時に、「立場は違っても共に一つの作業をする」という観点については、議員にも質問作成に十分な時間が与えられてしかるべきです。国会での質問は、漠然と疑問に思っていることを答えてもらうものではなく、国政の問題点を把握し、それに対する政府の対応を問うものです。質問の作成にもまた十分な時間と準備を要するのです。
今回問題となった予算委員会は、11日木曜日の午前中に日程が確定したとのことで、森議員及び野党会派は翌12日の17時までのわずか1日で質問を作らなければなりませんでした。相当にハードワークであり、官僚よりもさらに勤務状況が悪いと言われる議員秘書の方々に、相当の負荷がかかったであろうことが想像されます。
すなわち、「官僚のために事前通告の時間を守るべきだ」ということは、「議員・秘書のために事前通告までの時間が確保されるべきだ」ということとセットであるべきで、そのためには、与野党、特に国会運営の決定権を握る与党が、党利党略的な日程闘争ではなく、野党が質問作成の時間を十分とれ、官僚が答弁作成の時間を十分に確保できることを旨として、日程を決める必要があるということになります。
さらに、僭越ながら私や世耕前経産大臣のように、省庁内で答弁作成の作成手順を合理化することによっても、官僚の拘束時間を大幅に減らすことはおそらく可能です。そもそも官僚の勤務状況の改善に一次的に責任を負うのは、議員ではなく大臣以下各省庁の管理職であり、官僚の勤務状況の改善には、省庁自身が答弁作成の手順を合理化する努力も欠かせないのです。
私は、そもそも事実ではなくそれ自体不当な非難であったことを前提としたうえで、理由はさておき、台風を前に帰宅もできず、愚痴の一つも言いたくなったことは理解できます。しかし、相手の事情を確認もせず、あらゆる結果を仕事の相手方に帰責する形で個人を特定してあげつらったのは、通常の職業倫理からはおよそ考えられず、霞が関の劣化以外の何物でもないと思います。
話はそれますが、たとえば夜間救急外来に勤務する医師が、昼間は仕事で受診できなかったからと、さして重くない風邪で深夜に受診する患者にある種のいら立ちを覚えるのは理解できます。診療後、「今日こんな患者がいたんだよ。参っちゃったよ」と、SNSでつぶやくことも分かります。
しかし、その患者さんは、はたからはそれほどの症状にみえなくても、風邪で昼間の仕事がつらく、何日も我慢した末に耐えられなくなって受診したのかもしれません。子どもが受験やスポーツの大会を控えていて、どうしても伝染したくなかったのかもしれません。
なにより、少なくともその勤務で給与を得ている(医師が十分と思っているかどうかはさておき)以上、患者さんとは医師と患者さんの関係で接するべきで、個人の感情をぶつけるべきではありません。もっと言えば、本当にその様な患者さんを受けたくない/受けられないなら、病院としてそういう決定したり、夜間救急診療に当たる人員を増やしたりして対応すべきで、それらをすっ飛ばして、すべてを目の前の患者さんに帰責して個人名を挙げてあげつらうのは、医師としての職業倫理に反すると思います。
先の霞が関の官僚の例も、基本は同じではないでしょうか。質問通告が遅い議員がいたとしても、議員には議員、秘書には秘書の事情があり、その事情の中で少しでも良い質問を書こうと努力した結果かもしれません。それ以前に、そもそも待っている間も勤務中であり、些少とはいえ割り増しの残業代をもらっているのですから、あくまで官僚と議員という仕事の関係で対応すべきであり、個人としての怒りをぶつけるべきではありません。
台風が来るので早く帰宅したいなら、省庁として答弁原稿を効率的に作成する工夫をしたうえで、それでも無理なら期限を過ぎた事前通告は受け付けないと決めるとか、答弁原稿を官僚が作成するのは夜の10時までとし、それ以降は大臣自身に作って貰うとか(大臣次第で難しいとは思いますが)、やりようはあるはずです。すべてを議員一人に帰責して、自身は匿名で相手の名前を挙げて罵倒するのは、極めて誇りのない、職業倫理に反する行為に、私には思えます。
なお、この匿名アカウントの身元特定の動きが始まるや、今度は「内部通報者だから保護しろ」「官僚にも表現の自由がある」という議論が生じています。
しかし、内部通報者は公益目的で、行政機関やマスコミ等、被害の拡大を防止するために適切な相手に対して行われる場合に、公益通報者として保護されるものであり(公益通報者保護法第2条)、今回のようなSNSにおける単なる罵倒は、なんら公益通報に該当するものではありません(もちろん公益通報に該当する態様でなされたなら、当然保護されるべきですが)。また、本件で問題となっているのは、勤務中に勤務で得た情報をもとに仕事の相手方を実名であげつらったという行為の、官僚という職業上からの是非であり、表現それ自体ではなく、「表現の自由(憲法21条)」の問題ではまったくないことは、言うまでもありません。
なにより私が危惧するのは、官僚が自分が従うべきは政府与党であって、政府与党のいうことは絶対で1ミリも変えることはできず、それを邪魔する野党がすべて悪いとする意識が、背景に透けてみえることです。
議院内閣制とはいえ、行政府に属する官僚は、立法府に属する議員に対し、与野党問わず平等に対応しなければなりません。また、質問と答弁の作成は、立場は違えども、双方の作用があって初めて成立するものであり、両方とも国をよくするための共同作業であると、私は思います。
多くの官僚の方は、言われるまでもなくそんなことは分かっていると思うのですが、今般の匿名のアカウントによる個人を特定してのあげつらいは、「公僕」であろうとする官僚としての職業意識、「公正な行政」を実現しようとする義務意識の欠如が、霞が関で珍しくなくなりつつあることを示しているように思えます。この問題を放置することは、霞が関と言う官僚システムを劣化させ、崩壊させる第一歩となる危険を孕(はら)んでいるように、私には見えるのです。
次に、冒頭に挙げた(3)の「事前通告を第三者である民間人に漏洩することに問題はないか」について考えます。
森議員の事前通告は、照会のためという理由で国家戦略特区WG座長代理の原英史氏に、原氏と関わらない部分を含めて全文が伝達された後、原氏から高橋洋一氏にメールされ、高橋氏がこれをインターネットの番組で取り上げたことが、野党のヒアリングにおいて内閣府の事務局によって確認されました。
これに対して高橋氏は、
(1)事前通告された質問は、省庁において様々な人がかかわって処理されており、秘密を保てないから国家公務員が守秘義務負う対象たる秘密でない
(2)そもそも質問の事前通告は公開されるべきものである
と、声高に主張していますが、これらの主張は妥当なものでしょうか?
国家公務員法100条は「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。」と定めています。「職務上知ることのできた秘密」とは、職員が職務に関連して知り得たすべての秘密をいい、たとえば税務署の職員が税務調査によって偶然知り得た納税者の家庭的事情なども「職務上知ることのできた秘密」に含まれるとされています(人事院服務規程)。
つまり、「秘密」とは、省庁にとっての秘密ではなく、議員にとっての秘密であり、それが非公知で議員にとって実質的に秘密として扱うに値するものであり、実際そのように扱っていれば、秘密だということになります。
事前通告の内容は、質問の時までは公開されません。議員にとって秘密として扱うに値するもので、実際そのように扱っており、「秘密」に該当すると考えられます。なにより事前通告の内容が通常は秘密にされているからこそ、高橋氏は「私だけが知っている秘密」として、喜々としてインターネット番組で公表したのであり、今さら氏が秘密でないなどと主張するのは、自己矛盾以外の何物でもないでしょう。
ただし、これが公務員の守秘義務違反に該当するかと言うと、秘密を漏らしたのはWG座長代理とはいえ民間人の原氏と、原氏から情報を漏洩された高橋氏であり、法令上そのような二次漏洩者に対する規定がない以上、該当するとはいえません(ただし、担当官僚が原氏に対して、原氏と関係のない質問まで送付したことについては、守秘義務違反の疑いがあります)。しかし、それはあくまで法がそのような規定を置いていないからにすぎず、これまた高橋氏が胸を張って自らの正当性を主張できるようなものではないのです。
自民党の森山裕国対委員長が「事前に質問通告が漏れて、それが質問の前に批判にさらされるようなことがあっては、国会議員の質問権という問題を考えるときに遺憾だ」と記者団に語ったのは、当然の見識であると言えます(朝日新聞デジタル2019年10月18日)。
次に高橋氏は、質問の事前通告は本来公開されるべきものだから公開は許されると主張していますが、これは妥当でしょうか?
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