いま、深刻な「いのち」の危機が、被災地だけではなくこの国のあちこちで起こっている
核兵器廃絶の問題にとどまらず、教皇はこれまでにも、さまざまな社会問題に関するメッセージを世界に向けて発信してきました。
よく知られているのは、気候変動など環境問題についての取り組みでしょう。
2015年に発表された回勅(教皇から全世界のカトリック司祭・修道者、信徒にあてた公文書)『回勅 ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』では、環境問題が最重要のテーマの一つとして取り上げられています。
しかし、これは単に「地球環境を守りましょう」ということではありません。
『ラウダート・シ』の中に、「インテグラル・エコロジー」と題された1章があります。「総合的なエコロジー」あるいは「全人的なエコロジー」と訳してもよいかもしれません。
教皇が語る場合、それは、いわゆる環境保全としての「エコロジー」には留まらない意味を込めています。
もちろん、環境問題は、たいへん重要な主題です。しかし、究極的に目指すべきものはそれではありません。
あるべき社会の姿を実現するためのさまざまな手段として、核兵器の廃絶があり、環境保全があり、貧困や難民問題の解決がある。地球環境に対する危機と、社会から排除されている人たちへの暴力は同根のものであって、それを総合的に克服しなくてはならないのだ、ということなのです。
以下は『回勅 ラウダート・シ』からの引用です。
わたしたちは、環境危機と社会危機という別個の二つの危機にではなく、むしろ、社会的でも環境的でもある一つの複雑な危機に直面しているのです。解決への戦略は、貧困との闘いと排除されている人々の尊厳の回復、そして同時に自然保護を、一つに統合したアプローチを必要としています。
教皇が樹立しようとしている世界は、弱き者たちが安心して生活し、真の幸福と喜びを希望の光のなかで追求できる場所です。
回勅の副題にもあったように、教皇はしばしばこの世界を「家」にたとえます。誰一人見捨てられることのない「家」──それが教皇にとっての世界の原点です。
教皇は、しばしば希望を語ります。彼にとって希望こそ、神から人間にもたらされたもっとも重要な恩寵なのです。
その恩寵がすべての人のもとにあること、誰もが希望を感じることができる社会。それが教皇の目指しているこの世界のありようなのです。