2019年11月01日
10月の初め、下関の大学の行事に招かれたついでに、初めて関釜フェリーに乗った。
「え、乗ったことなかったのですか? 一番歴史が古い日韓航路なのに。信じられません」
確かに。この30年あまり幾度となく日韓を往復し、飛行機だけなくフェリーも大阪港や博多港から何度も乗ったのに、なぜか下関港だけは利用したことがなかった。
「ぜひ、乗ってくださいよ。釜山はすぐそこです」
地元の人々の強力な推しで、「じゃあ」とすぐその気になった。船舶会社に電話して「当日なんですが、席はありますか」と聞いたら、「大丈夫だから18時半までに来てください」と言う。念のために乗船開始時間を聞いたら、18時半だという。ならば、もっと早く行かなければだめでしょう、と、その時までは思っていた。フェリー乗り場のカオスを記憶していたからだ。
最後にフェリーに乗ったのは、1990年代の終わりだった。仁川から中国の威海に向かう船。乗船場は大勢の人と大量の荷物であふれかえっていた。まだ乗船開始時刻まで1時間もあるというのに、搭乗口には手続きを終えた人々の長い行列ができ、怒号が飛び交っていた。「一列に並んでください。割り込みはしないでください」と、係員たちは声をからして叫んでいた。
指定席なのにどうして並ぶの?という謎は、乗船してすぐに解けた。定員500名以上の大型客船の甲板は荷物の山。ダンボール、風呂敷、キャスター付きバッグで、まさに足の踏み場もない。中には、すでにブルーシートを広げて唐辛子を干している人もいた。
韓国語では「ポッタリ」(風呂敷包という意味)、日本語では「担ぎ屋」というのだろうか。フェリーの利用客の多くは一般観光客ではなく、2国間を行き来して商いをする人たちだった。家電製品から農産物まで、皆その荷物置き場を確保するために我先を争って船に乗り込もうとしていたのだ。
この時、私が乗ったのは中韓航路だったが、同じ頃に友人を見送った釜山港も同じだった。段ボールを持った中高年女性たちの熱気を前に怖気づく友人を、「荷物がない人は最後に乗れば大丈夫だから」と励ました。その船の行き先は下関、すなわち関釜フェリーだった。
あれからちょうど20年、関釜フェリーはどうなっているのか?
JR下関駅から歩道橋を歩いて行くと、そのままフェリー乗り場に着く。徒歩わずか5分。港はまさに街の中心にあり、そこから毎日韓国行きのフェリーが出ている。あらためて、日本と韓国の近さを実感する。ところで、その下関港国際ターミナルのビルに入って驚いた。
今日は休みなのだろうか?
そんなはずはない、朝、電話で確認したばかりだ。それにしてはあまりにひと気がない。場所を間違えたのかと思ったが、2階に上がると切符売り場があり、そこでパスポートを見せたら、あっという間に乗船券が買えた。18時半から乗船にはまだ1時間ほどあったので、周辺を見て回ったのだが、とにかく人がいない。ソファで寝ている人が1人、外で煙草を吸っている人が2人。
やがて乗船時間が来たので、船に乗り込んだのだが、そこでもまた驚いた。
船室に人がいない。
私は人々の話を聞くのが好きなので、フェリーは大部屋、ゲストハウスはドミトリーのが好きだ。もちろん安いのも魅力だし。なのでこの時も、2等船室の大部屋を希望したのだが、なんと一人ぼっち。期せずして、個室になってしまったのだ。カフェや甲板に出てみるが日本人の中年夫婦がいるだけ。いろいろ回ってみたが、ウロウロしているのは10人ぐらい?
そうだ、お風呂に行けばポッタリの人たちがいるかもしれない。彼女たちは乗船したらすぐ、船が動く前に一番風呂に入る。予想通り、お風呂には人がいた。5名ぐらい?
全体的にガラガラの船、定員約500名の船の乗船率は1割をはるかに切っているだろう。8月に入ってから韓国人観光客が激減しているのは知ってはいたが、現実はさらに衝撃的だった。それにこの港は特別なのだ
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