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小沢一郎「もう一回舞台を回さないといけない」

(20)細川護熙はあまりに淡泊だった。渡辺美智雄と羽田孜は決断できなかった

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

「細川後継」に浮かんだ渡辺美智雄

 1994年1月29日、小沢一郎が念願としていた政治改革法案が衆参両院で可決した。その5日後の2月3日、細川護煕首相は6兆円減税と税率7%の国民福祉税構想を発表したが、世論の猛反発にあって翌日に撤回した。その後、水面下では、自民党の派閥領袖、渡辺美智雄と細川、小沢の連携、駆け引きが激しく交錯していく。
 『内訟録 細川護煕総理大臣日記』(日本経済新聞出版社)によれば、「渡辺新党」結党を目指して動いていた山崎拓は94年3月9日夜、公邸裏口から密かに入邸して、「YKK(山崎、加藤紘一、小泉純一郎)を中心に100人から150人ほどで決起する。連立を組みたい」という趣旨のことを細川に申し入れている。
 現実にはそれほどの議員数は集められなかったが、小沢と細川、羽田孜の3人は、細川の後継として渡辺を立てることで合意した。(小林泰一郎『語る 小沢一郎』文藝春秋)

――細川内閣は1994年4月25日の臨時閣議で総辞職します。しかし、その前に渡辺美智雄さんが自民党を出るという話が水面下で進んでいました。渡辺さんの先兵として動いていた山崎拓さんがYKKを中心に新党工作をしているという話が山崎さん自身からもたらされましたが、小沢さんはYKKが本当に嚙んでいるならもっと情報が漏れてくるはずだと言って警戒感を示していた、と3月22日の細川さんの日記にはあります。

小沢 そうだったかな。そうだったかもしれないが、それは覚えていない。

――その後、細川さんが辞めた後、渡辺さんを後継首相にしようということで、小沢さんは渡辺さんの決断を待っていたわけですよね。

小沢 そうです。しかし、渡辺さんは最後まで決断しなかった。本当に最後まで待っていたが、決断をしなかった。外相だった羽田(孜)さんが外遊中のモロッコから帰って来る4月17日の正午まで決断の連絡を待つと渡辺さんに言ってあった。羽田さんが日本に着いてしまったらおしまいだ、だからタイムリミットはこの日の正午ですと言っていたんです。だけど、全然連絡がありませんでした。

――その後、渡辺さんには、なぜ決断しなかったか確認したことはありますか。

小沢 ありません。そんな過ぎたことを言ってもしようがないでしょう。決断できないんですよ。誰も彼も、みんないざとなると決断できないんです。風貌よりも意外と繊細なんです。ぼくの印象では、中川一郎さんもそうでした。

――そうですか。しかし、細川さんはなぜ辞めてしまったんですか。

小沢 本当にわからない。

――細川さんの日記を読むと、本当に政治に嫌気がさしたようですね。

小沢 それもわからない。

――反面で、さっぱりと辞めたことで小沢さんは細川さんを評価もされていますね。

小沢 潔いところはありますね。その考え自体は立派だと思います。ただ、後で聞いたら、本当に何もやましいところはないんだから、そんなことをする必要はなかった。ぼくはその時相談されなかったからわけがわからなかったけど。NTT株を買ったとか、佐川急便からお金を借りたとか、それ自体は何も悪いことはないんです。

――佐川急便からのお金も返済しているんですよね。根抵当権が抹消されているんだから、返済した以外にはありえませんね。

小沢 それは、ぼくが自民党の人から後で聞いたんだけど、自民党がさんざん脅かしたらしい。

――どういうふうに脅かしたんですか。

小沢 よくは知らないが、大変な事件になるぞというようなことを言ったんじゃないですか。

――そういうことですか。小沢さんの見通しとしては、細川政権があと1年か2年続いていれば自民党は相当割れただろうということですよね。

小沢 分解したでしょう。当時、離党者が続出していましたから。

――そうですか。仮に細川政権ではなく、渡辺美智雄さんが決断して自民党を出ていれば、政界はまた違った眺めになっていたでしょうね。

小沢 はい。あの時渡辺みっちゃんが本気になっていたら絶対に勝っていましたね。勝負をかければよかったのに、みんないざとなると決断できないんです。みっちゃんは二度も首相になりはぐれてしまって、残念なことをしました。

拡大細川護熙首相の後継首相選出をめぐって自民党を離党して首班指名投票に出馬する意向を表明していた渡辺美智雄氏は離党を断念した=1994年4月18日、東京都千代田区平河町

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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