山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授
1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
首里城は沖縄にとってどのような存在だったのか(上)
10月31日午前2時40分頃、首里城の正殿から煙が見えるという119番通報があった。木造の正殿はまたたく間に燃え上がり、北殿、南殿・番所が全焼。火は書院・鎖之間、黄金御殿、二階御殿にも広がった。
11時間にわたって燃え続けた首里城。そして鎮火後の無残な焼け跡。首里の市民はぼうぜんと立ち尽くすしかなかった。
「生まれたときからずっとあったのに。親戚が死んだような気持ち」と、大学で会った学生は言った。「高校の卒業アルバムを撮った特別な場所。もう写真でしか思い出を探せない」と言う学生もいた。
失われたものは大きい。
沖縄県那覇市の北東部にある首里(かつては首里市だった)の街並みは、首里城を中心につくられているといっても過言ではない。
家屋やビルは首里城と同様、屋根に赤瓦が敷かれている。景観を損ねないよう、高さもおさえられている。その中心が焼失した。
首里城は最初の創建以来、沖縄の戦と政治の中心舞台であり続けてきた。今回焼失した首里城についても、すでに再建をめぐって政治が動き始めている。
2022年度から始まる新たな沖縄振興計画(沖縄振興特別措置法にもとづいて県が策定)や、2022年9月に予定されている沖縄知事選にも、首里城の再建問題は必ず関わってくるだろう。今後の再建のあり方を考えるために、本稿では、首里城がどのような存在だったのか、歴史を振り返ってみたい。