順調な経済と自由の制限、ポピュリズム政権が台頭
2019年11月11日
ポピュリストは常に大衆の支持の上にある。つまり、国民の支持から離れ国家権力を壟断するわけではない。だからこそ、支持を求め大衆を扇動する。しかし、その結果出来上がった政権は、国民の自由を完全に保証しはしない。自由が制限される先にあるのは、政権が立法や行政を支配するだけでなく司法や言論も支配する。つまり行きつく先は権力の独裁だ。そういうポピュリズム政治がハンガリーやポーランドで進行する。
しかし、東欧は共産主義の弾圧から1989年、ベルリンの壁の崩壊とともにやっと解放された。長年の圧政に苦しんだ後、ようやくの思いで手に入れた自由だ。しかもポーランドは民主化の最初の狼煙(のろし)を上げたところ、ハンガリーは壁崩壊の時、多くの人がその国境を通り西側に押し寄せたところだ。そういうところで、どうして人々は再び自由を制限されていいというのか。そのあたりにポピュリズムというものの本質がある。
ポーランドで10月13日総選挙が行われ、「法と正義」が勝利した。下院で、それまで37.6%だった得票率を6ポイント上積みして43.6%とし、2015年に引き続き単独過半数を確保した。単独過半数は冷戦後のポーランドの政治でそれまでない。2015年以前は常に連立政権だった。つまり、国民は今回も「法と正義」に高い支持を与えた。もっとも今回、上院の方は票を減らした。それまで61議席だったのが48議席に減った(総数100議席)。その意味では完全勝利ではない。
「法と正義」が2015年以来行ってきたことは国民の支持を得た。いったい、カチンスキー氏はこの4年間何をしたのか。「アメを与え自由を奪った」
奪われた「自由」とは、報道の自由と司法の独立だ。カチンスキー氏は政権を取るや矢継ぎ早にメディアを議会の監視下に置き、最高裁判所の人事を刷新して自らの息のかかった者を任命した。最高裁判所には、定年間近の判事が多くいた。そこでカチンスキー氏は定年年齢を前倒しした。それまで最高裁判所の定年は70歳だった。それを65歳定年としたのだ。その結果1/3ほどの判事が定年を余儀なくされ、空席となったところに自らと主義主張の同じ判事を任用した。さすがにこれは露骨な司法介入だ。EUが異議を唱え是正されることとなったものの、依然、ポーランドの司法の独立は脅かされている。EUは引き続きポーランド国内の状況に目を光らせている。
国民は誰だって自由を奪われていいわけがない。ようやく共産主義から解放されたところでは特にそうだ。ところがハンガリーもポーランドも、国民はそれでもいいとする理由があった。「安全への恐怖」だ。
2015年の難民危機は国民に強い恐怖感を与えた。百万人を超えるイスラムがバルカン半島を北上してくる。既に一部は町に溢れ、それまで静かだった町の姿が一変した。夜ともなれば見知らぬ人が通りをうろつく。女性は怖くて外にも出られない。難民が向かった先のドイツでは、学校が外国人子弟に占拠されてしまった。言葉が通じないから授業にならない。文房具が買えないから先生がポケットマネーで鉛筆を買い与える、とのことだ。そういう事態になってはたまらない。そういう恐怖がハンガリーやポーランドのポピュリストの台頭をもたらした。
ポーランドの「法と正義」が2015年選挙で勝利した裏にはそういう事情がある。2019年の今年、既に難民危機は一服した。一度味わった恐怖は、そう簡単に消えはしないものの差し迫った恐怖は今はない。カチンスキー氏が考えた新たな恐怖は
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