首里城焼失で沖縄の人びとが共有したもの
沖縄の「アイデンティティの象徴」は本土の人間に何を語りかけてきたのか
阿部 藹 沖縄国際人権法研究会事務局/琉球大学非常勤講師
軽々に共有できない沖縄の人びとの痛み
10月31日の朝、電源を入れたテレビの映像に言葉を失った。
首里城が真っ赤に燃えていた。
どのチャンネルも首里城火災を報じていた。嘘であって欲しい、被害が軽微であって欲しいという願いもむなしく、正殿が崩れ落ちる映像にそれ以上見ていられなくなり、電源を切った。
仕事のために向かった那覇市中心部の久茂地では沖縄タイムス社や琉球新報社が号外を配っていた。真っ赤に燃える首里城の写真、全焼の文字。道ゆく人びとがみなその手に号外を持ち、見つめていた。

瓦が焼け落ちた首里城の正殿=2019年10月31日未明、那覇市、石崎雅彦さん提供
いつもは体操やスーパーのチラシ紹介をウチナーグチを交えて楽しく伝える昼前のローカル番組では、司会を務める女性漫才コンビ「泉&やよい」の二人が厳しい表情で首里城の最新情報を伝え、視聴者からのメッセージを涙ながらに読み上げていた。
テレビのニュース番組では、沖縄の象徴が焼けたと涙ぐむ若者、戦争中と今回の火災で二度も首里城が焼けるのを見ることになった母親を心配して一緒に首里城を訪れた男性がインタビューに答えていた。
沖縄中が首里城を失ったことを受け止めきれないでいる、そんな雰囲気に包まれていた。

龍潭から首里城を望む。以前はここから正殿が見えていた。正殿は焼失し、北殿が延焼していることがわかる。観光客に混じって地元の人も様子を見に来ていた=2019年11月4日、筆者撮影
歴史的建造物が好きでたびたび首里城を訪れていた私も、燃えてしまった建築物や貴重な文化財のことを思うと胸が潰れそうだった。職場では号外を読みながら、本土出身の同僚と残念だ、勿体ないなどと言葉を交わした。
けれども、沖縄出身の同僚には結局一言も首里城の話をすることはできなかった。
その時はなぜなのか考えもしなかったが、改めて考えてみると沖縄の人が感じている痛みと自分の悲しさは異なるものであり、その痛みは本土出身者の私が軽々に共有できるものでないことを自然に感じていたのだと思う。
ゆえに、ここで沖縄の人の痛みを語るつもりはない。代わりに首里城が今に至るまで本土の人間に語りかけてきたことを考えてみたい。