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ローマ教皇フランシスコが長崎の爆心地に立つ意味

核兵器廃絶を訴える教皇の訪問で浮かびあがる「ナガサキ」とは何なのかという問い

高瀨毅 ノンフィクション作家・ジャーナリスト

教皇のメッセージに高い関心

 長崎では2018年、「長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録された。はからずも同じ年、潜伏キリシタンの末裔(まつえい)で、五島列島出身の前田万葉・大阪大司教が教皇を補佐する枢機卿に任命されている。

 前田枢機卿は、「教皇は核兵器について、つくることも倫理に反すると考えている」と言う。これは、核兵器の使用はもとより、製造そのものを否定する核兵器禁止条約の理念に沿う考え方だ。今回の訪日で、「教皇は、メッセージにそのあたりのことまで織り込むかもしれない」。前田枢機卿は慎重に言葉を選びながらもそう語る。

 被爆国でありながら、核兵器禁止条約の批准どころか、交渉にも参加しなかった日本政府。被爆者は、核兵器廃絶に関して、世界に本気で訴え、国際世論をリードする姿勢が見えない安倍政権に、いら立ちと失望を感じている。

 そんななか、教皇は長崎でどのようなメッセージを発するのか、被爆者やカトリック関係者のみならず、多くの長崎市民もまた、高い関心を持っている。

教皇が訪れる爆心地公園とは

 筆者が注目したいのは、教皇が訪れる場所だ。

 38年前、長崎を訪れたヨハネ・パウロ二世は、観光客なら必ず立ち寄る平和公園―同公園には長崎原爆のシンボルのようになっている平和祈念像がある―に行かなかった。理由について教皇自身の口からは明確には語られていないが、当時の長崎市長で自身もカトリック信者だった本島等氏(故人)は、「キリスト教が偶像崇拝を禁じていることが影響している」という見方を示していた。

 今回の教皇フランシスコも平和公園には行かない。だが、隣接する爆心地公園(松山町)を訪れる。そして、原爆落下中心地碑に献花し、核廃絶のメッセージを読み上げる予定だ。この意味は大きい。

 なぜなら、被爆地公園は、原爆の爆発点直下でありながら、常に平和公園の陰のような存在でありつづけてきたからだ。

拡大平和祈念像=2019年11月8日、長崎県松山町(筆者撮影)

爆心地に背を向けて行われる平和式典

 毎年8月9日の長崎原爆の日には、平和公園で被爆者や遺族はもちろん、首相や閣僚、外国の要人を迎えて平和祈念式典が厳かに挙行される。式典は平和祈念像に正対する構図である。

 祈念像は、公園の北側にあり、顔と身体の前面は南側を向いている。その像に正対する式典参加者は、当然のことながら北側を向いて席に座り、背中を南側に向けることになる。南側の、道一つ隔てたところに爆心地公園がある。つまり平和を祈る式典参加者は、爆心地公園に背を向けていることになる。

 祈念像の完成は1955年。当時、カトリック関係者だけでなく市民からも、「あの像は平和となんの関係もない」「祈る気持ちにならない」との批判があった。作者は長崎市出身の著名な彫刻家、北村西望。戦前から武将などの像を多く制作。筋骨隆々の祈念像を視(み)れば、その造形のスタイルが受け継がれていることは明らかだ。

 平和祈念式典が暗黙のうちに示しているのは、爆心地よりも、原爆とは直接関係のない「偶像」のある場所の方が重く位置付けられるというメッセージである。だが、その奇妙さについて論じられた形跡を、私はほとんど見かけたことがない。それだけ平和祈念像の彫刻としての力がある、ということでもあるのだろうか。

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筆者

高瀨毅

高瀨毅(たかせ・つよし) ノンフィクション作家・ジャーナリスト

1955年。長崎市生まれ。明治大卒。ニッポン放送記者、ディレクターを経て独立。『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』など歴史や核問題などの著作のほか、AERAの「現代の肖像」で人物ドキュメントを20年以上執筆。ラジオ、テレビのコメンテーターなどとしても活躍。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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