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日韓議員連盟は「英語」で対話を!

アジア政党国際会議を参考に英語で対話する日韓議員チームをつくろう!

鈴木賢一 政党事務局副部長

 GSOMIAが失効する11月23日が迫ってきた。

 韓国と日本の間では、1965年の国交正常化以降でも、さまざま摩擦が起こり、そのたびに両国の政府に代わって日韓議員連盟が解決の道筋をつけてきた。2002年のサッカーワールドカップの日韓共同主催を主導したのも同議連だ。

 ところが現在、政府間だけでなく、議連間でも事態の収束をはかれるような政治対話が行われていない。

 本稿では日韓の政治対話が機能しなくなった原因を探ったうえで、アジアで最大級の政治対話機関であるアジア政党国際会議の事例を参考にして改善策を提案する。

拡大訪韓した日韓議員連盟のメンバーと握手する文在寅大統領=2018年12月14日、韓国大統領府

日韓議員連盟の前半期が政治対話に成功した背景

 1975年創立の日韓議員連盟は、数多ある議連の中でも名門と呼ばれてきた。日本では長年、元首相らが会長職を務めてきた。韓国側の韓日議員連盟でも同様だ。

 それぞれの政界の重鎮が中心になって、日韓大陸ダナ条約、教科書や指紋押捺の問題、アジア通貨危機時の対韓支援など懸案の裏交渉役を務め事態を実質的に打開してきた。

 日韓議員連盟による政治対話がなぜ成果を収めたのか。韓国側の政治家の多くが日本語を使えたことが何よりの要因だ。日本語を「共通言語」として双方の国会議員が腹を割って話し合うことができたからだ。

 韓国政界とのパイプが太い小沢一郎議員に面談した際、議連がさまざまな問題を解決できたのは韓国側の国会議員の多くが日本語を話せたからではないかと質問したところ「そうだ。今は少なくなったが」と答え、「共通言語」の効果を認めている。

日韓議員連盟の後半期が機能しなくなった要因

拡大2002サッカーワールドカップ(出典:JFA)

 2002年のサッカーワールドカップでは、元首相で議連会長を務めていた竹下登氏が日韓共催の道筋をつけたと言われる。この頃までは韓国側で日本語を話せる政治家がかろうじて存在し、両国政府を説得できるレベルの政治対話が議連間で行われていた。

 ところが韓日議連で世代交代が進み、韓国側で日本語を話せる政治家が激減してしまった。それと比例するように議連間の信頼関係は薄れ、問題解決能力が下がっていった。

 2005年の島根県の「竹島の日」条例制定をめぐって、韓日議連から条例案議決の留保が要望され、森喜朗日韓議連会長が理解を示したものの、町村外相はそれに応じず、日韓関係が冷え込む事態となった。

 韓国側に日本語が堪能な政治家が多数いれば、日本側で韓国側に理解を示すことができる政治家も多数存在し、事態は違う方向に向かったかもしれない。「共通言語」であった日本語が使われなくなった結果、急速に議連の実効力が低下したと言える。

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筆者

鈴木賢一

鈴木賢一(すずき・けんいち) 政党事務局副部長

1994年、米国マハリシ経営大学卒業。在籍中チャールズ・グラスリー連邦上院議員事務所、マーガレット・サッチャー財団日本代表事務所インターン。94年、新党さきがけ事務局入局。96年、英国エセックス大学大学院修士修了(ロータリー財団国際親善奨学生)。97年、民主党事務局入局。2003年、英国外務省チーブニング奨学生としてロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学、労働党本部インターン。09年、民主党政権で幹事長室、国際局の部長代理。12年、国民の生活が第一事務局部長。日本未来の党、生活の党と山本太郎となかまたちを経て16年、民主党事務局復職。18年、米国国務省IVLPで中間選挙視察。論考に「ブレア―・英政権三選と首相の主導運営」(『議会政治研究No.75』)、「官邸主導時代の政府広報のあり方~英・ブレア政権との比較・検討から~」(『論座』2007年6月号)、「アジア政党国際会議(ICAPP)で培った政治調整力で朝鮮半島情勢の歴史的変革に挑む韓国の鄭国家安保室長」(『グローバルアジア・レビュー』第7号)など。

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