人工知能(AI)の絶大な影響力への関心が高まっている。しかし、AIを支える背後に「ゴーストワーク」(Ghost Work)と呼ばれるものがあることを知る日本人は少ないのではないか。
2019年に刊行されたマリー・グレイとサイドハース・スリのGhost Work: How to Stop Silicon Valley from Building a New Global Underclass(『新しいグローバルな下層階級を生み出すシリコンバレーの止め方』)という本を読むと、ゴーストワークの姿が多少なりとも見えてくる。そうした仕事を提供するプラットフォームとしては、アマゾンのMechanical Turk (MTurk) やマイクロソフトのUniversal Human Relevance System (UHRS) 、巨大化したハイヴ(Hive)、特定分野に特化したLeadGenius、Amaraなどがある。
AIの闇 ① ギグ経済

Andrew E Gardner/Shutterstock.com
AIに深層学習(deep leaning)させるためには、対象物が犬、人、クルマ、山といったいかなるものであっても、主たる対象をイメージとして認知するように訓練することが必要になる。
そこで、AI開発者、リー・フェイフェイ(李飛飛)はスタンフォード大学在職当時、ワールド・ワイド・ウェブ(www)から数百万のイメージをダウンロードするためのソフトウェアをつくり、それぞれを犬とか人とかにタグ(ラベル)づけする作業に取り掛かった。ところが、学生アルバイトを募るにしてもコストと時間がかかる。
そこで、彼女らが注目したのがMTurkであった。2007年のことだ。イメージにタグづけをする作業をMTurkのアプリケーション・プログラミング・インターフェイス(API)を使って割当てて支払いをすることにしたのだ。167カ国の約4万9000人の力で320万ものイメージにタグづけすることができた。この単純労働こそ、ゴーストワークであり、AIを支える作業なのである。注目を浴びるAI自体は表の顔であり、その裏側には「闇」の世界が広がっていることを忘れてはならない。
あるヴェンチャー・キャピタルの予測によると、こうしたタグづけを行うサービスの市場規模は2023年までに50億ドルにのぼるとみられている。これは現状の3倍であり、有望な市場とみられている。AI投資が2023年までに2019年の380億ドルから980億ドルに増加するとの予測からわかるように、まさにAIの拡大をタグづけサービスの市場がAIを支えることになるのだ。タグづけをしているのは、英語のわかるインド人やフィリピン人などが多い。
このゴーストワークはスマートフォンなどで電子情報として簡単に雇用情報を流し、必要な人材を集めて短期的に雇用するという「ギグ経済」(gig economy)と呼ばれる経済形態の一つである。
ギグというのは、ジャズ・ロックミュージシャンの単発の雇用契約を意味するが、別に釣りでいう「引っ掛け針」という意味ももつ。水面近くの魚群のなから魚を引っ掛けてつかまえるものだ。それはスマートフォンなどを使って雇用情報を流し、必要な人材を引っ掛けて集め短期的に雇用するというやり方に似ている。ギグ被雇用者は正規の被雇用者に比べて年金や健康保険で不利益を受けることになる。逆に雇用者からみれば、より安いコストで必要な労働力を必要な時期に活用できるメリットがある。
だが、このゴーストワークにも、いま新しい変化が広がりはじめている。タグづけの時間を短縮し、その精度も高めたとされるScale AIやLabelbox、さらにAI.Reverieといった新しい会社が急成長の過程にあり、その過程で、ゴーストワークのもたらす雇用が先細りになる可能性が出てきている。ゴーストワークは途上国の貧民を救済する、わずかながらの手段だが、それすら技術革新によってその必要性が失われようとしているのだ。