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リスペクトする野球を知ったタンザニア

野球人、アフリカをゆく(16)ボールを投げそのボールを打つ。そこから野球は始まる

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

拡大代表チームの練習前ミーティングで練習メニューの内容と意図を説明する友成監督。規律と笑顔の両立を目指した代表チームを目指した。

<これまでのあらすじ>
危険地南スーダンに赴任し、過去、ガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者は、3か国目の任地でも、首都ジュバ市内に安全な場所を確保し、野球教室を始めた。初めて野球を目にし、取り組む南スーダンの子供たちとの信頼関係も徐々にできてゆく。ようやく試合ができるレベルになってくると、試合前に整列し、礼をする日本の高校野球の形を導入していった。その独自の野球哲学が確立されたのは、ゼロから急速に発展するタンザニア野球だった。そこには、長年培ってきた野球観を変えるような出会いがあった。

 前回「タンザニアで気づいた日本野球のガラパゴス化」で、第2回タンザニア甲子園に参加し審判をつとめていただいた小山克仁さんが、試合中に私をベンチから呼び出したところまで書いた。そこで聞いた青天の霹靂(へきれき)のような言葉から、今回は始めたい。それは、
「友成監督、選手たちに盗塁させないでください」
だった。

機動力を使った野球を教えたのだが……

 タンザニア甲子園の第2回大会が開催されたのは2014年12月。まったく野球がなかった国に野球が紹介されて2年半が過ぎた頃だが、まだまだ創生期。5チームが参加したが、最初に野球が紹介されたダルエスサラームの2チームは、あとから始めたチームに比べて当然ながら強い。

 同年2月の第1回大会は軟式ボールで大会を行ったが、第2回大会からは硬式ボールに変えた。そうするには理由があった。

拡大機動力野球を目指したタンザニア代表チームでは、日ごろの練習でも盗塁に力を入れていた。
 2015年の夏にU18の世界大会が大阪で開催される。私が指導する選手はまさしくこの世代。本職はJICA職員である私の任期は3年程度(結果的には3年半)であり、限られた在任期間中に野球のレベルを可能な限り上げて、できれば国際大会を経験させたい。大舞台で野球を経験することは、この先の彼らのモチベーションにつながり、野球に真剣に取り組み続ける動機になるはずだ。そう考えた私は、国際大会で通用する代表チームを目指し、ダルエスサラームの2チームの選手を日曜日に集め、バント、ヒットエンドラン、盗塁など、機動力を使った野球をサインプレーとともに教え込んでいた。

 そんな私に、小山さんは「盗塁させないでください」という。真剣勝負の公式戦の試合中に、盗塁をやめろと指導する主審って……。

「戦術的なことを審判に指示されるなんておかしくないか?」

 前回書いたが、小山克仁さんは全日本アマチュア野球規則委員会副委員長で、現在はアジア野球連盟審判部長を務める、野球人の大先輩だ。名門の法政二高、法政大学と野球を続け、25歳から審判員となって東京六大学や国際大会、甲子園でも審判を務めた。この時点ではバリバリの現役で、日本の野球界のど真ん中にいた。

 驚く私に小山さんは続けた。「盗塁した走者が簡単に2塁、3塁まで行ってしまうから、打者はよい球でも振らなくなっている」

 そんなことを言われたのは、私の長い野球人生で初めてだった。たしかに盗塁が多いと試合進行がダラダラする。主審の指導なのでいったん受け止め、盗塁のサインは出さないようにしたが、内心、まったく納得がいかなかった。仮にも真剣勝負。勝つためにベストを尽くす。盗塁の練習も積んだのだから、その成果を発揮させてあげたい。そもそも戦術的なことを審判に指示されるなんて、おかしくないか?

 だが、この時点で、私は全くわかっていなかった。小山さんの指導の本当の意味が。そして、審判の本当の役割が。それはおそらく、私をはじめ多くの日本人野球指導者が、ガラパゴス化した日本野球の中で育ち、陥ってしまった野球観のゆえだ。小山さんの指導は、そこから私が脱皮するきっかけとなった。


筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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