メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

ベルリンの壁崩壊から30年後の世界

冷戦が閉じ込めていたナショナリズムとグローバリズムという猛獣が暴れるなかで……

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

拡大ベルリンの壁崩壊から30年の式典で、壁の隙間にバラの花を一輪ずつ挿す参加者=2019年11月9日、ベルリン

  11月9日はベルリンの壁崩壊から30周年の日であった。すぐに思い出すのは、宮沢喜一・元首相が当時、私に言った言葉だ。

 「自分の目が黒いうちに、こんな日が来るとは思わなかった」

 それは、半世紀の間、冷戦下の厳しい国際情勢に直面し格闘してきた政治家としての、偽らざる実感だったのだろう。

マルタ会談で冷戦終結宣言

 後になって思えば、当然のような経過をたどってこの日がやったきたのだが、第2次大戦後の米ソの冷戦体制があまりにも強固だったので、誰もがこの体制が半永久的に続くものと思い込んでいた。

ベルリンの壁が崩れ落ちた後、東ヨーロッパの社会主義体制はあたかも将棋倒しのように倒壊し始めた。12月に入ると、地中海のマルタ島で、ブッシュ米大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長が首脳会談が開かれ、「冷戦の終結」と「新時代の到来」が宣言された。

 1989年の後半、事態はまさしく、あれよあれよという間に進んでいったのである。

ベルリンの壁の前で震撼

拡大ベルリンの壁崩壊から30周年の式典で、壁の隙間にバラの花を挿すドイツのメルケル首相(奥)=2019年11月9日、ベルリン

 文字どおり常時臨戦態勢にあった西ドイツと東ドイツは、それから1年後の1990年10月、なんと統一にまで至った。

 私は冷戦の時代、別々の機会に当時の西ベルリンと東ベルリンの両側から壁を視察したことがある。そこで、逃亡の実態を知り、震撼させられたものだ。子どもを折りたたむようにして詰め込んだという大きなカバンも見せられたのを覚えている。

 その頃、日本はどうだったのか。

 1989年、日本は「昭和64年」ではじまり、1週間で「平成元年」になった。昭和を追いかけるように美空ひばりが他界。隣の大国・中国が民主化されるかもしれないという期待が、あっけなく踏みにじられた「天安門事件」もこの年の出来事だ。

 年末には、日経平均株価が4万円に近付き、最高値を記録した。だが、年明けには暴落、バブルの崩壊へと続いていく。平成の「失われた10年」がここから始まる。


筆者

田中秀征

田中秀征(たなか・しゅうせい) 元経企庁長官 福山大学客員教授

1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒。83年衆院選で自民党から当選。93年6月、自民党を離党し新党さきがけを結成、代表代行に。細川護熙政権で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経企庁長官などを歴任。著書に『平成史への証言 政治はなぜ劣化したのか』(朝日選書)https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20286、『自民党本流と保守本流――保守二党ふたたび』(講談社)、『保守再生の好機』(ロッキング・オン)ほか多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

田中秀征の記事

もっと見る