長期政権の弊害を「ちゃんと見ていた」SNS時代のエンゼルたち
2019年11月19日
永遠にその栄華が続くと思われた治世もいずれは崩壊の時がやってくる。歴史を紐解くまでもなくそれはたいてい組織内部の腐敗等「自壊」から始まる。
11月20日には桂太郎内閣を抜いて憲政史上最長となる見通しの安倍政権。10月に起こった2大臣連続の辞任の背景には党内抗争も噂され、「桜を見る会」に関わる問題では長期政権の弊害が指摘される。
森友、加計学園問題等では追及を乗り切り得た「成功体験」だが、そこでの慢心こそが安倍一強の砂の山を崩していく。
2006年9月に小泉政権を引き継ぎ誕生した第一次安倍内閣は自ら「美しい国づくり内閣」と命名したものの翌年8月に安倍総理の辞任で終わる。5年後の2012年に再誕する第二次安倍内閣は短命に終わった第一次の反省を踏まえた上で、その基盤を強固にするための様々な工夫を行なっているように見える。
そのひとつ、後援基盤の定着・拡大戦略の一つは「金では買えないものの提供」である。
安倍総理も昭恵夫人もいわゆる「名家」の出身である。今後も含めた人生の中では、たとえなにがあっても「明日から仕事を失ったり」「生活に困窮したり」「一文無し」どころか「借金苦に悩んだり」などということはないだろう。祖父を思えば、万が一のことがあり「プリズン」に入ることがあってさえ復活できるはず。
その楽観的思いである「根拠なき権力」の源泉は血脈ゆえ無条件に与えられたものである。学歴エリートの政治家や官僚が周りにいても、多少勉強が苦手な自分の方が存在価値が上。通常は努力しなければ開かない、いや努力しても開くことがない扉は安倍総理夫妻の前では最初から開いているのである。
しかし、第一次政権での総理辞任で得たそれまでには予想もしなかった苦しみの中で、自分にとっては当たり前の「ファストパス」を羨望し、欲しがっている人がいることに気がついたときに、これを使わない手はないと思い至ったのだろう。自分のいる世界を少しでも覗き見させれば友人も後援者も党内での基盤も含めて確実に増強されていくという実感があったに違いない。
かぼちゃの馬車に時間限定で乗せ、「プチセレブ感」を味わわせる体験型テーマパーク、参加型アトラクションを「公的行事」を利用しながら、後援者に提供するという方法を定番化するのである。
基本的に誰もがチケットを購入すれば参加できる政治資金パーティー等の私的行事と政府や総理大臣が主催する公式行事は違う。公式の場合は招待されるにはそれなりの基準があり、「セレクト」される。つまり権威づけ、格付けが行われ、参加できるということはその基準をクリアしたものと自他共に認められたということを示すことができるのだ。
それを例えるならば、限られた一握りの選ばれた人しか得ることができない「限定品」。1952(昭和27)年から続いてきた「桜を見る会」もそれに合わせて趣向を変えていった、とも言えるだろう。
招待券がメルカリで売られていた、という話もあるが、「桜を見る会」は基本的には功労者を招く会だ。本来「金では買えないもの」の典型でもある。しかも、「桜を見る会」のツアーに参加すれば一般人が払う金額より安い料金で高級ホテルに宿泊したり、破格値と思われるパーティーもついてくる。
もちろん、ホテルニューオータニに泊まったり、高級寿司店で食事したりすることは金を出せば誰でもできるが、通常ならばこの何倍もかかる。つまり「値引き」すら安倍後援会だからこそ。一般人が「金を出しても」同様の扱いとはならないという、なんとも「あべこべ」なパラドクスが生まれるのだ。
つまり、安倍総理の選挙を応援し、無批判に称賛し続ければ「おこぼれ」が降ってくるということの可視化が「桜を見る会」だったとも言えるのではないか。一般国民にはアベノミクスの雫はついぞ国民の生活に滴り落ちることはなかったが、局地的に山口県、安倍後援会の中だけはそんな甘い汁が滴り落ち続けているのである。
ツアー参加者はオフィシャルな権威を一瞬だけまとった自分を切り取り写真に収め、「セレブな自分」をインスタ等SNSで発信し自己宣伝に使うことも可能。実生活では得られない体験だからこそ魅力がある。その「ツボ」を心得たからこそのツアー募集だったのだろう。
そういう視点から見ると、それまで社会との折り合いの中で自己肯定感を持てずにいた人々が「アベ友」となり安倍総理の思想信条を代弁、過剰に持ち上げることで自分の存在意義を確認している様にも納得がいく。彼らは現実の
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください