現代版「醍醐の花見」の節度なき招待者800人
歴代最長の安倍政権は文書の破棄に逃げず、「桜を見る会」の問題点を徹底検証すべし
田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

「桜を見る会」で笑顔をみせる安倍晋三首相夫妻(中央=2019年4月13日、東京・新宿御苑
安倍晋三首相が主催する「桜を見る会」をめぐる騒動は、首相自らが「来年度中止」の決断をしたにもかかわらず、収まる気配が見えない。朝日新聞の世論調査によると、首相の「招待者の取りまとめなどには関与していない」という説明には、68%が「納得できない」と回答している(朝日新聞デジタル2019年11月18日)。
この一件は、あの森友・加計学園問題より、もっと広く深い政権に対する不信感を、国民の間にもたらした。永田町の一部でささやかれていた衆議院の解散・総選挙も、とうてい断行できる状況ではなくなった。
政治が節度を失った?
そもそも「間違ったことをしてしまったが、これからはそんなことはしない」という首相の言い方は弁明にも反省にもなっていない。説明が二転三転することも、隠していることがあるのではないかという疑念をかきたてる。
私自身はこの問題の根底にあるのは、「政治の節度」のようなものだと思っている。要は、招待者の人数、基準、接待の内容などについて、「どこで線を引くか」という判断の問題ではないか。
法律違反があればそれは論外だが、適法であっても、「非常識なこと」をしないというのが、望ましい政治判断だろう。裏を返せば、首相の判断力に直結する問題だと言える。