レバノンの「市民デモ」から発信されるアラブ変革
イラクでシーア派の若者が反乱を起こした理由
イラクよりも平和的だが今年になってデモが日常化しているのがアルジェリアである。1999年に就任したブーテフリカ大統領が今年2月に第5期を目指すと発表したのに対して市民の激しいデモが始まり、4月にブーテフリカ氏は辞任に追い込まれた。
民衆のデモでブーテフリカ大統領が辞任したことは、「革命」と呼ぶこともできたかもしれない。しかし、当時82歳の大統領は2013年に脳卒中を患って以降、公の場にほとんど姿を現していなかった。大統領職は形骸化していた。大統領辞任後も市民は、毎週金曜日に、軍主導体制を終わらせることと参謀総長など軍幹部の退陣を求めてデモを続けてきた。
政府は12月に大統領選挙を実施することを発表したが、市民は軍幹部が残ったままの選挙実施に反対している。11月1日には2月以来37週目の金曜日デモがあり、65回目の独立記念日と重なったため、全国で反政府デモが起こった。
独立系アラビア語紙「シュルーク」は「大規模なデモ隊が通りに繰り出し、『我々はギャングたちからアルジェリアを取り戻すことを求める』と唱え、前政権のすべての政治指導者の辞任を求めた。この日は首都アルジェの中心部に向かうすべての通りに治安部隊が陣取っていた」と書いている。フランス語紙の「エル・ワタン」は「少なくとも数十万人が、すべての政府関係者の辞任と政治システムの決定的な変革を求めて、デモに参加した」と書いた。

アルジェリアのフランス語紙「エル・ワタン」が伝える11月1日のデモ
アルジェリアでは1991年のイスラム勢力が勝利した選挙の翌年、軍が介入してその結果を無効にして以来、90年代はイスラム過激派と軍・治安部隊の間で、10万人ともいわれる死者を出す内戦状態が続いた。
ブーテフリカ氏は、1962年にアルジェリアがフランスから独立した後、外相を務めた老政治家で、99年に、民政復帰の体裁を整えるために軍に担がれた。アルジェリアで権力を握っているのはイスラム過激派との“テロとの戦い”を進めてきた軍だった。そうしたアルジェリアで市民の軍批判デモが始まった。これは、「対テロ戦争」が一段落した後も軍のエリートが支配し続ける政治を民衆に取り戻そうとする動きを意味する。
軍主導政治に反対といっても、それはイデオロギーではない。人々の怒りの背景として、シュルーク紙は2019年2月、「アルジェリア人の1500万人が貧困ライン以下の生活」とする記事を掲載した。アルジェリアの人権組織の報告書を引用したものだが、「アルジェリア人口の38%にあたる1500万人が貧困ライン以下で、生活に困窮している。2014年には24%だった」としている。アルジェリアの若者の失業率は2017年も18年も30%であり、深刻な段階に来ている。
天然ガスで世界9位の輸出量を持つアルジェリアで国内の貧困が大きな問題になっているのは、政府の社会経済政策の失敗と、大きな貧富の格差によるものとみられている。
現在、デモが続いているレバノン、イラク、アルジェリアの3国に共通するのは、2011年の「アラブの春」の時には目立ったデモが起きなかったということである。
3国とも、「アラブの春」で倒れたエジプトのムバラク大統領やリビアのカダフィ大佐のような強権独裁者が長年、支配してきた国ではなかった。代わりに、アルジェリアでは「テロとの戦い」を担った軍・警察主導の政府、レバノンでは宗教・宗派のバランスをとる宗派主義、イラクでは旧政権勢力を抑えるシーア派主導政権という「秩序を維持する」ための体制があった。
3国のデモで市民の要求に共通するのは、経済困難や貧困、失業など政府の失策への強い批判であり、「秩序の維持」や「治安」を担ってきた政治エリートによる国民不在の政治に怒りが噴き出したという側面だ。