香港の将来像を描いたオムニバス映画『十年』を手がけた蔡廉明さんに聞く
2019年11月23日
国際金融都市の香港が、自らの未来をかけた“戦場”と化している。街中を催涙弾と火炎瓶が飛び交い、24日に予定される区議会議員の選挙が、かつてない注目を集める。中国の影響力が強まっていく香港の将来像を描いたオムニバス映画『十年』の“世界”を、現実が早送りで追い越していくようだ。4年前に上映され、話題を呼んだこの映画のプロデューサー、アンドリュー・チョイ(蔡廉明)さん(48)に、香港の現状について聞いた。チョイさんからは、未来を楽観できないとしつつ、それでもいつか、若者の希望を描きたいという言葉が返ってきた。(聞き手 吉岡桂子・朝日新聞編集委員)
アンドリュー・チョイ(蔡廉明)
1971年生まれ。デジタルメディアや映像プロダクションを経て、若者たちの映画撮影を支援している。プロデューサーとして携わった『十年』は香港のアカデミー賞とも呼ばれる「香港電影金像奨」(2016年)を受賞した。
――24日の区議会選挙で、香港政府は一部の民主活動家の立候補を認めず、治安の悪化を理由に延期も示唆してきました。
選挙は絶対に実施すべきだと思ってきました。香港社会にとって民意を表現する場として大切な機会だからです。政府に反対する立場をとる候補者が得票数や議席を伸ばすと予測されますが、政府を支持する候補者を上回るかどうか。しかも、区議会選挙ですので、香港が抱える問題を大きく動かす力はない。それでも、政府は結果を非常に恐れている。彼らは民意が怖いのです。
2014年に起きた「雨傘運動」は、真の選挙権を求めて起こした運動でした。中国共産党は17年までに普通選挙を導入すると約束したのだから果たせ、と。残念ながら、成果を得られませんでしたが。これに対して、(刑事事件の容疑者を香港から中国大陸に引き渡すことを可能にする)逃亡犯条例をきっかけに6月から始まった今回のデモは違います。香港にすでにいま存在している核心的な価値、つまり自由や安全、人権や法治をもぎとられないように続けている戦いなのです。失うと香港ではなくなってしまう。だからこそ、多くの人が街に出て、声を上げたのです。
法治がない中国大陸に恣意(しい)的に連れていかれて、恣意的な裁判を受けるかもしれない。これは恐怖です。香港では2015年に、中国共産党の意に沿わない本を扱っていた書店関係者が拘束された事件もおきている。米国の中央情報局(CIA)の陰謀だとかカラー革命だとかと中国政府は言っているが、ピントがずれすぎていて腹が立ちます。
逃亡犯条例は10月に撤回されましたが、市民と政府の衝突はさらに激しさを増しています。現地の友人たちは、「警察に攻撃されやすいから、香港に来るときには黒い服は着るな」と言うようになりました。11月に入って警察が大学に催涙弾を撃ち込み、学生は火炎瓶で応酬しています。
大学で起きていることには、ほんとうにショックを受けています。若者が心配です。政府の対応は非常に強硬で、大学生の求めをほとんど無視している。道路が封鎖されたり地下鉄がとまったりして、街全体がシャットダウンされたような状況にも陥りました。一方で、たくさんの市民が大学に食糧や水や衣服など生活物資を届けて支援しました。
この数カ月、もっとひどい警察の行為を、私たちは見せられてきました。抗議活動で逮捕されて起訴されれば、10年は刑務所に入っていなくてはならないかもしれない。にもかかわらず、自分の将来を犠牲にしてまで、香港のために何かをしようとしている若者を見放し、孤立させるわけにはいかないでしょう。
――たしかに警察の振る舞いには驚かされます。
7月に元朗駅で起きた事件は、抗議行動の激化に大きな影響を与えました。白いシャツの集団がデモ帰りの市民を無差別に襲った、あの事件です。近くにいた市民もまきぞえになった。だが、警察は取り締まらず、調査もしなかった。幹部がギャングとぐるになっているからだと、多くの市民は考えています。
実際、警察も抗議者には過剰な暴力をふるい、拘束している。その数は数千人にのぼるとみられています。香港市民は、警察の中に中国大陸の警察がすでに潜入していると思っている。市民と政府・警察との緊張関係は非常に深い。
――デモでは、早くから五つの要求が掲げられています。(1)逃亡犯条例改正案の完全撤回、(2)運動にかかわる逮捕者を逮捕・起訴しない、(3)独立調査委員会の設置、(4)抗議行動を暴動としない、(5)行政長官の辞任と普通選挙の実現、です。
三番目の「独立調査機関の設置」が重要だと思います。こうした機関が、この間、警察がしてきた行為をきちんと調べる。そこに問題があれば、行政長官や警察幹部は責任をとって辞職するべきです。この点を重視する意見は、香港の大学関係者や経済界を含めて多い。五番目の普通選挙の実現がもっとも大事なのは当然ですが、そこに至る道のりは、まだまだ遠いと覚悟しています。
――最終的には、普通選挙を実現し、民主的な香港をつくりたいということですか。
私を含め、多くの市民は香港の独立までは求めていないと思います。(高度な自治を約束した)「一国二制度」をきちんと運用してほしい。「一国一制度」にしないでほしい、香港基本法の約束を守ってほしい。訴えているのは、そういうことです。
世界の市場で自由に取引ができる香港ドルを擁する香港は、国際金融都市として中国経済に重要な位置を占めている。これがなければ、中国はもっとあからさまに約束を破り、一制度を押し付けていたでしょう。香港市民の間には、そんな恐怖感があります。
だって、香港のトップである行政長官が、自らの進退を自分で決められず、中国共産党の意向に従わざるをえないのですよ。これは、個人の資質の問題というより、全体の制度からくるものです。ただ、行政長官に対する極端に低い支持率にくわえて、安全を守るはずの警察権力が信頼を市民から失い、香港政府は今後、どうやって統治してくつもりなのでしょうか。とりわけ、未来を担う若者たちに警察への不信をここまで植えつけてしまった罪は大きい。
――2025年の香港を描いた『十年』では、禁書の摘発運動による表現の自由の制限や、もともと広東語を話す香港で普通語(北京語)が普及することによるアイデンティティの喪失が描かれていました。当局が自作自演の作り話で警備を強化しようとしたり、民主運動家が焼身自殺したりする場面もありました。
『十年』でわれわれが描いた世界について、「すでに起きてしまった、それ以上のことが起きている」という指摘をしばしば聞きます。実際、中国大陸による香港のコントロールは、過去5年にわたってあらゆる分野で強まりました。具体的に言えば、メディアを統制し、言論の自由の幅を狭め、被選挙人に対する管理が厳しくなった。
「雨傘運動」のとき警察が発射した催涙弾は、3カ月あまりで100にも満たなかったのに、今や1日でその数に達します。政府も警察も事実を隠し、ほんとうのことを言わない。たくさんの不正義が街を覆い、社会が分断されています。
『十年』を制作してから、立場の違いで何人かの友人と縁を切りました。抗議活動に反対している親戚もいる。息子は大学一年生で、カナダに留学しています。7月初めまでは香港で友人たちとデモに参加していました。前線ではありませんが。こうした抗議活動にも反対する親がいる場合、家に戻らなくなった子どもたちもいます。家族が一緒に暮らせないのは悲しいことです。一人一人、社会が大きな傷を負っています。
――『十年』は香港では2016年に「香港電影金像奨」を受賞するなど大きな話題を呼ぶいっぽうで、中国大陸での上映は禁じられました。私は、中国大陸との境界に近い学校の講堂でみました。大勢の人が泣いていました。
上映は最初1館から始まり、数館まで広がりました。連日満員だった。「雨傘」の結果から、多くの香港の人たちは自分の感情を語れなかった。言葉を失うほど、悲しい気持ちだったし、喪失感がありました。ですが、その一方で、誰かと語りあいたい気持ちにもなっていたんだと思います。
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