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大統領の宗教~韓国現代政治史とキリスト教

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

「解放空間」のキリスト教

 8.15以降、北緯38度線以南は米軍の軍政下におかれた。米国は、韓国のキリスト教宣教の流れを尊重した。

 一方、韓半島の北の地域はソビエトの影響下にあって社会主義政権が樹立され、朝鮮半島分断は結果として1950年の韓国戦争の悲劇を招いた。分断と戦争の時代、かつて北で隆盛を極めたキリスト教勢力は、その根拠地を南韓へと移動せざるを得なかった。これはキリスト教と社会主義体制との間の葛藤が最も大きな要因であった。

 これに反して、米軍政と米軍政に続く「第1共和国」の李承晩(イ・スンマン)政権はキリスト教に対して格別の便宜を供与した。

 特に、米軍政期から朝鮮総督府が残した国有地などの公共の財産、日本の民間宗教団体などが残した土地、建物などの多くが韓国のキリスト教指導者個人や団体に払い下げられた。これらを教会、キリスト教学校、キリスト教機関などのキリスト教勢力が使用することとなったのである。

 たとえばソウルの南山にあった「朝鮮神宮」の敷地には、平壌からソウルへ避難してきたキリスト教系の学校である「崇義女学校」が立てられた。これはキリスト教にとっては記録に値する出来事である。

 この時期にはクリスチャンで、英語が得意で、さらに米国への留学の経験があれば、出世と既得権獲得においては必要にして十分な条件であると公然と口にされた。

景武台(李承晩時代の大統領府の名称)の長老たち

 第1-3共和国で大統領を務めた李承晩はクリスチャンだった。メソジストの貞洞第一教会に所属していた。

 彼は個人的にもクリスチャンであったが、彼をサポートした米国の影響で、徹底的なキリスト教優遇政策を採った。

 大韓民国建国以来の憲法の精神は、もちろん政教分離の原則と宗教の自由を明らかにしてはいたが、他方でキリスト教が優遇される社会的な雰囲気期が醸しだされたことを意味する。

 ところが李承晩時代の韓国ではキリスト教をカトリックとプロテスタントに厳格に区分して理解したため、この時期は、プロテスタント優遇の時代であり、カトリックはむしろ差別されたという評価もある。

 したがって歴史家の中には李承晩政権時代を「プロテスタントの準国教時代」とする見解もある。

 李承晩執権以後の最初の「制憲国会」はキリスト教式の祈祷でスタートした。李承晩議長の要請を受けメソジスト派の牧師であり、制憲国会議員の李允榮(イ・ユンヨン、1890-1975)がお祈りした。これは政教分離と宗教自由という憲法の精神に対して反するのではという疑問が生じる場面であろう。

 それから米国の軍隊には牧師が存在する制度に由来して「軍牧制度」が導入された。また刑務所の「刑牧制度」も実施されたのである。これは、国が特定の宗教と提携して、国家の機能の一部を共同で実施する制度であった。

 そのほかにも、李承晩政権時代のキリスト教優遇は、複数の箇所で確認される。特に韓国戦争の時期に、海外のキリスト教団体の支援を得るために積極的に動いたのもその一側面であると見ることができる。

 同時に、韓国のプロテスタントは李承晩政権を積極的に支持し、さらには李承晩政権末期の独裁と不正選挙が蔓延した時も、無条件に独裁政権を支援する姿勢を見せたことから、後に厳しい歴史的批判を受けた。

拡大韓国大統領府=東亜日報提供

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

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