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冷戦後の世界でなぜ民主主義への失望が渦巻くのか

ポスト冷戦時代を読む(2)「現代史フォーラム」館長 ユルゲン・ライヒェさん

三浦俊章 朝日新聞編集委員

 1989年の東欧革命でソ連型社会主義体制が崩壊したとき、西側世界のリーダーたちの多くは、これはデモクラシーと市場経済の勝利だと確信した。それがどうだろう。今日では、東欧諸国では、民族ナショナリズムをあおり、自由な言論に介入する指導者が国民の高い支持を得ている。ドイツでさえも、右派政党「ドイツのための選択肢」が躍進している。30年前の「革命」とは何だったのか。あのとき、ベルリンの壁崩壊への導火線となる大規模な民主化デモが行われたライプチヒを訪ねた。市の中心部にある歴史博物館「現代史フォーラム」のユルゲン・ライヒェ館長に、東ドイツでその後何があったのかを聞いた。旧東ドイツ生まれのライヒェ氏は、2015年に館長に就任後、3年がかりで常設展示を大幅に拡張した。

ベルリンの壁崩壊後の世界について語る歴史博物館「現代史フォーラム」のユルゲン・ライヒェ館長(野島淳撮影)

豊かにはなったが政治家には距離感

――この博物館は以前、1989年の壁崩壊に至る道のりに焦点を当てていました。現在は、89年以後の展示にも力を入れています。リノベーションのねらいは何でしょうか。

 この数年、旧東ドイツに住む人々は、89年以前のことよりも、89年以後の出来事について議論するようになりました。今日の問題は、社会主義体制が崩壊したあとの移行期の産物ではないかと考えているのです。私自身は、89年以前と89年以後と、その両方が現在に影響を与えていると思うので、その両面を、ポピュリスト的でないやり方で、要するに合理的に事実に基づく議論ができる材料を提供しようと考えたのです。この博物館では、市民との対話を重んじていて、毎週なんらかの討論会を催しています。

――市民との対話からどういうことがわかりますか。

 人々は前より豊かになりましたが、政治家に距離感を感じています。政治家が自分たちの声を聞いていないという怒りです。これは、以前の旧東ドイツ時代の独裁者について人々が抱いた不満ですが、当時は声をあげることができなかった。いまはデモクラシーだから、何でも口に出すことができる。

メルケル首相は“独裁者”と批判する人たち

ドイツ統一後、西側の商品が流入し、モノはあふれたが、旧東ドイツ地域に住む人々の不公平感は消えない。ザクセン州ドレスデン市内のスーパーマーケット= 2016年10月22日(三浦俊章撮影)
――そのこと自体は、東ドイツ時代より違いますね。

 いまは三権分立があり、言論の自由もあります。でも、政治に不満を持つ人は、「メディアは嘘だらけだ」と言います。私は「旧東ドイツで、そんなことを言ったら、あなたは5年か10年は刑務所送りだったでしょう」と反論します。

 旧東ドイツ地域に住んでいる人たちの中には、今も社会主義独裁体制下と変わらない、メルケル首相は“独裁者”だと批判する人たちがいます。メルケルが選挙で選ばれているという民主主義の基本を理解していないのです。

 これは、実は1989年、90年の問題でもあります。あのとき、旧東ドイツの人々が望んだのは、西のように豊かになること、経済のことだけでした。民主主義とは、人々が共存していく「技」なのですが、民主主義を学ばなかった。人々は、一瞬で自分たちの生活が変わると期待した。すべて投げ出して、西側の物を取り入れればよいのだと考えたのです。

――その後何がおきたのですか。

 旧東ドイツの人口およそ1600万人のうち、450万人が去りました。西側から200万人が流入しましたが、これは出て行った人が戻ったのではなく、西ドイツの人が移り住んだのです。

 小さな町はどんどん過疎化が進んだ。出ていくのは女性が多い。女性たちはみんなスイスやオーストリアや旧西ドイツ地域で働いている。だから、残っている高齢者、特に男性たちは西の悪口をいい、メルケルを呪うのです。

右翼政党支持者がみんな右翼というわけではない

――なぜ人々は右傾化してしまったのでしょうか。

 人々の不満のかなりの部分は、いまのエスタブリッシメント(既存の支配体制、エリートたち)に対する抗議なのです。「ドイツのための選択肢」に投票する人たちは、政党幹部と同じことを考えているわけではありません。

 現在、「ドイツのための選択肢」の支持率はドイツ全土ではおよそ14%、ライプチヒも属している旧東ドイツのザクセン州では25%を超えましたが、支持者がみんな右翼というわけではない。あるものは、生活の基本的なニーズが満たされていないことの不満から、既成政党をヒヤリとさせてやりたいので右派政党に投票しているのでしょう。

――それにしても、ナチスの過去を抱えるドイツで、右派がこれほど台頭するとは、驚きです。

インタビューに応じるユルゲン・ライヒェ館長(野島淳撮影)
 私は、「ドイツのための選択肢」が登場したことは、ドイツ自身が今までのやり方を改めるべきだという課題を示されたのだ、と思っています。政治の現状には問題があるのです。政府や政治家は、社会の上澄みの部分で活動していて、普通の人々との接点を失いました。

 ドイツでは、今でも人口の70%は小さな町や村、田舎に住んでいます。しかし、政治はベルリンやヨーロッパ連合の本部のあるブリュッセルで決められて、政治家は、そういう人々にとって何が重要かを理解していない。同性愛や同性婚など、多様な価値観の問題がさかんに取り上げられています。そのこと自体はよいことですが、それが世の中で一番重要な問題でしょうか。

 ザクセン州の州議会選挙では、「ドイツのための選択肢」が第2党になりましたが、もしも、連邦首相のメルケル氏と同じキリスト教民主同盟のクレッチマー州首相の努力がなければ30%以上を取ったでしょう。クレッチマー氏は、人々のところへ行き、人々の声に耳を傾ける選挙運動を徹底しました。政治もそのように変わらなければならないのです。

無比のチャンスをいかした東西ドイツ統一

――ここで1989年に話を戻します。30年後の今日でも、ドイツでは東西格差が言われていますし、旧東ドイツの市民には「2級市民」と扱われているという不満があると聞いています。そもそも、統一のプロセス自体があまりにも急速で無理があったのではありませんか。東ドイツの改革をもっと進めてから東西が統一するという選択肢はなかったのでしょうか。

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