メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

小沢一郎「福田総理は誠実だった」

(23)民由合併から小沢代表へ。激動の民主党と自民党の大連立構想の舞台裏

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

民由合併の舞台裏

 1998年11月、自民党の小渕恵三総裁と自由党の小沢一郎党首は政策協定に合意し、翌99年1月に自自連立政権発足。しかし、政策協定の実行を迫る小沢に小渕はあいまいな対応を続けたため、2000年4月に連立解消。この時の小沢の努力で国会審議の際の政府委員が廃止され、クエスチョンタイム(党首討論)が導入された。しかし、政府委員はその後、政府参考人という名称で事実上復活した。

――小沢さんが学生時代から考え続け、著書の『日本改造計画』でも展開された政治改革のいくつかが自自連立政権の時の国会審議活性化法で一部生かされました。そしてさらに、民主党政権で大きく生かされていきますね。

小沢 そうしようと思ったんだよ。

――そうしようと思った、まさにそこなんですね。

小沢 実現させようと思っていたんだよ。だけど、そこを(検察に)邪魔されたわけだから。いよいよこれで実現できるっていう時になあ。

――わかります。しかし、自自連立から民主党政権にかけて、小沢さんが考えていた政治改革の重要な施策がいくつか実現していきますね。

小沢 はい。だけど、民主党の中でも自分たちが主張していたことを本当に理解している人はそう多くはいなかったような気がしますね。

――そうですか。

小沢 だから、マニフェストは間違いだったという人もいるようですが、それは違うと思います。マニフェストが間違いだったら、民主党政権そのものも間違いだったということになってしまいますから。

――本当ですね。

小沢 政治改革の理念から言うと、そういう理想と理念が一番純粋な形ではっきりしていたのは自由党の時だったですね。だから、そういうところが評価、支持されて600万票も入りました。しかし、それじゃ過半数は取れない。だから、民主党と一緒になったんです。もっと幅広い支持を集めて過半数の票にならないと。

――そこのところで聞きたいのは、2003年の自由党と民主党の合併の時の話です。前年の2002年11月29日の夜、民主党代表だった鳩山由紀夫さんが記者会見をして、民主党と自由党の対等合併を打ち出しました。当然、その前に小沢さんと鳩山さんの間で合併の話があったわけですが、どんな話をされたんですか。

小沢 それほど特別な話はないですよ。鳩山さんの方が合併を言い出して、ぼくは、その話は結構ですねと答えたわけです。さっきも言いましたように、自由党だけでは過半数には届かないから、鳩山さんが言い出したことについて、いいですよと答えたんです。簡単な話です。

――鳩山由紀夫さんとは以前から親しいとかそういう関係はなかったんですか。

小沢 ぼくが田中派のベテランだったころ、鳩山さんは田中派の新兵だったから、親しく話をするような関係ではありませんでした。

――鳩山さんが新兵だとすれば、小沢さんはすでに大佐級だったという感じですか。

小沢 いや、そんなにはなっていないでしょう。(笑)何期か違うんですよ。だから、それほどは知らないし、話も以前はしていません。弟の邦夫さんは田中先生の秘書だったから以前から知っていましたが。

――どういう形で連絡が来たんですか。

小沢 普通の形で秘書に連絡が来たんじゃなかったかな。それで会って話したんだと思います。特別印象に残ってないくらいですから、大変な策略でも何でもないんですよ。

 その時は、ぼくは割り切っていましたから。自由党のままいるのが政治思想的には一番きれいな姿だが、それではもう大勢を制することはできない。だから、民主党から話があれば一緒になることは必然だと思っていました。鳩山さんの方でも、一緒にならなければウイングを広げられないと思ったのではないですか。

――ところが、その民主党の代表が鳩山さんから菅直人さんに代わってしばらく経ってから、一転して合併を断ってきましたね。

小沢 その時はぼくは直接出ていなくて、当時の幹事長が話を受けたと思います。

――それで2003年1月に両党で政権構想協議会を作って話し合い、5月になって打ち切りになったわけですね。断ってきた理由は覚えていますか。

小沢 いや、覚えていないですね。それほど高いレベルの話ではなかったような気がします。

――そして、その夏になると、今度は菅さんの方から一緒になろうと再び言ってきたんですね。そのあたりの事情については、小沢さんは別のインタビューでこう語っています。

 小沢一郎のインタビューをまとめた『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』(五百旗頭真ほか著、朝日新聞社)では、小沢はこの時の自由党の事情をこう話している。「自由党の面々にとって、民主党との合併はほんとはものすごく不利な話なんです。衆院選の比例区で自由党は五、六百万票を獲得しています。だから、時間はかかるけれども、小選挙区で当選者を一人ずつ増やしていこうと考えていた。ところが、民主党と合併して政党が大きくなると、民主党の候補者と一緒に比例区名簿に名前が載るから、自由党議員が当選できなくなる可能性が大きくなる。だから、みんな腹の中では合併に反対だったんです。/だけど、僕は「政権をとるためならしょうがない」と言って、みんなを説得した。民主党との話し合いで、僕は何も異論をはさまないで、民主党の言うとおりにしたんです」

――このあたりの事情は覚えていますか。

小沢 その通りですね。

――そして、小渕自民党政権との連立の時は小沢さんは政策論を出したんだけど、この時はその政策論も出さなかったということですね。

小沢 この時は、政策的にも民主党の政策に賛成してもらわなければいけません、と言われました。それほどすごい政策論だとは思いませんでしたが、まあよかろうということになったんですね。

――菅さんの再度の申し入れは政党の合併ではなく国会での統一会派を作るという案だったということですが、小沢さんはそれには反対したわけですね。

小沢 そのいきさつはよく覚えていませんが、反対したと思います。当時の自由党は単独で600何十万票取っていますから、民主党もこれに比べて桁違いに取っているというわけではなかった。だから、最終的には一緒になった方がいいという意見が大勢を占めたんだと思います。

拡大合併協議書を交わす民主党の菅直人代表(左)と自由党の小沢一郎党首=2003年9月24日、東京・永田町

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

佐藤章の記事

もっと見る