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ウガンダ野球を成長させた日本人の伝説的指導者

野球人、アフリカをゆく(17)野球を通じた人材育成に全力投球

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

U18世界野球大会アフリカ予選が行われたケニアのメルー市の野球場。

<これまでのあらすじ>
危険地南スーダンに赴任し、過去、ガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者は、3カ国目の任地でも、首都ジュバ市内に安全な場所を確保し、野球教室を始めた。初めて野球を目にし、取り組む南スーダンの子供たちとの信頼関係も徐々にできてゆく。ようやく試合ができるレベルになってくると、試合前に整列し、礼をする日本の高校野球の形を導入していった。その独自の野球哲学が確立されたのは、ゼロから急速に発展するタンザニア野球だった。そこには、長年培ってきた野球観を変えるような出会いがあった。

 サハラ砂漠以南のアフリカを指すサブサハラ・アフリカ、すなわちアフリカの大半の国々のうち、三大経済大国とはどこか?「ナイジェリア、南アフリカ、ケニアです」と、即座に言える人は、まだまだ日本では少ないだろう。

 三国の経済規模は、2017年度GNP(GNI)で表せば、ナイジェリア・3762億ドル(世界31位)、南アフリカ・3493億ドル(同33位)、ケニア・795億ドル(同68位)。21世紀に入って20年間の平均成長率は、ナイジェリア・6.07%、南アフリカ・2.66%、ケニア・4.55%。(出展:IMF World Economic Outlook Database 2019年10月版)ちなみに、5.0%成長を続けると20年で経済規模は2.6倍にもなる)。

 その三大アフリカ経済大国のひとつであるケニアで2014年12月、U18世界野球大会のアフリカ予選が行われた。

アフリカ54カ国のうち4カ国が参加

 首都ナイロビは人口約300万人超の大都会。そこから北東に約230キロ行ったところに人口17万人のメルーという田舎町があり、ケニア唯一の本格的な野球場がある。ここで開催される大会の参加国は、私が代表チームの監督を務めるタンザニアのほか、地元ケニア、南アフリカ、そしてウガンダだ。

 アフリカには54もの国があるが、U18世界野球大会の予選参加国数はたった4カ国。これがアフリカ野球の現実なのだ。

 アフリカは広大だ。アフリカ大陸での国際大会に参加しようとすると、チームスポーツである野球チームの移動費用はバカにならない。フル代表のオリンピック予選のようなものでも、なかなかスポンサーが得られず、参加を断念するケースも珍しくない。ましてやU18の代表チームとなると、アフリカ内のどこにでも派遣できるのは、南アフリカ代表チームくらいなのだ。

 ただし、ケニアがホスト国となってくれるおかげで、隣接するタンザニアとウガンダは陸路で行ける。そういう背景があっての4カ国なのである。

チャンピオン・南アフリカとダークホース・ウガンダ

 大会の形式は、第一ラウンドを総当たり戦として順位を決め、第二ラウンドは1位と4位、2位と3位が準決勝を行う。

 優勝候補は何といってもアフリカから唯一オリンピック出場経験のある南アフリカだ。2000年のシドニーオリンピックの予選の時は、私はガーナ代表チームの監督として対戦したことがあったが、28対3で敗戦した。

 いささか言い訳めくが、まったく歯が立たなかったのは、ガーナだけでなかった。参加するすべてのチームとは圧倒的な実力差があった。伝統的に南アフリカはアフリカ内では、チャンピオンなのである。

 しかし、今回のU18世界大会アフリカ予選では、優勝候補のダークホースがいる。それはウガンダだ。

ウガンダの野球が強くなったワケ

タンザニアチームは試合中にスローガン「Discipline,Respect,Justice」を書いた紙を毎試合ベンチに貼って戦った。
 「ミスター・トモナリ!タンザニアの国際大会初出場、おめでとうございます!」

 アフリカ予選が開かれるメルーに到着し、会場となる野球場を視察のために訪れると、身長185センチはあろうかというマッチョで大柄な男性が、その雰囲気と裏腹に礼儀正しく声をかけてきた。

 「ジョージ!久しぶり!」。そう言って、がっちりと握手を交わした相手は、ウガンダ野球連盟の会長だ。

 「こちらはとにかく初出場だから、お手柔らかに頼むよ」と言う私に、「ウガンダ、ケニア、タンザニアと東アフリカに野球が広まってくることは大歓迎です。タンザニアのチャレンジに敬意を表します」と、これまた礼儀正しく返してくれた。

 私とウガンダの野球の縁は、第8話「野球先進国ウガンダのチームに南スーダンの難民が」で書いたが、「アフリカ野球友の会」の取り組みとして、ウガンダの少年少女野球チームを日本に招聘(しょうへい)したり、ウガンダに野球を広める工夫の一環で、日本の伝統的な遊びである「三角ベース」を首都カンパラで学校に紹介する「三角ベースプロジェクト」を実施したりするなど、継続して協力してきた。その当時、ウガンダ野球連盟の会長は女性のシエラさんだったが、その後任がこのジョージ会長だ。

 ウガンダ野球が強くなってきた一番の要因は、ウガンダの野球連盟の歴代会長たちが野球の普及に熱心で、野球のコーチができる人を青年海外協力隊員に派遣してほしいと、JICAに要請し続けてきたことにある。JICAウガンダ事務所もそれに応え、十数年、継続的な派遣を行ってきた。それが、ウガンダ野球の普及、発展、強化につながってきたのは間違いない。

日本からやって来た伝説的指導者

 2004年にウガンダ初野球隊員が派遣されて以来、2019年までに長期短期併せて合計18人の野球経験者がウガンダに来て、活動してきた。そのなかの一人、伝説的な指導者について、ここで書いておきたい。

 その人は小田島裕一さん。札幌出身で、大学まで野球をやり、卒業後札幌で中学校の教員を務める。夢だった青年海外協力隊の野球隊員を7回受験して落ち続け、最後のチャンスとなった39歳の時、8回目の受験でやっと合格した、という不屈の男だ。

札幌市内の中学の教員から青年海外協力隊の野球隊員としてウガンダに転じた小田島裕一さん(右)。
 実は、その不屈の魂の源は、私のガーナ代表監督時代のことがきっかけだった。1998年から99年にかけて、オリンピック出場の奇跡に挑戦するガーナ野球は、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」という番組内でフィーチャーされ、1年間にわたり隔週ペースで紹介された。これを観て、あきらめかけていた協力隊への挑戦心が高まった小田島さんは、拙著『アフリカと白球』も読んでさらにモチベーションが上がり、あきらめずに夢を果たすことができたらしい。

 隊員合格後、つてを頼って私に連絡をしてくださり、以来、連絡を取り合うようになった。

 2006年6月にウガンダ2代目の野球隊員として派遣された小田島さんは、首都カンパラから87キロ離れたジンジャ市セントノアセカンダリースクールに赴任するやいなや、技術よりも人間力を高めることを目的とした「Gentleman Baseball」を掲げ、野球を通じた人材育成に全力投球した。

早朝4時半から読書に励む野球部の選手たち。小田島野球は文武両道による人間教育を目指した。
 全寮制の学校の野球部員を、早朝4時半に登校させ、まずは読書をさせる。その後、部室や学校の廊下の掃除をさせたうえで、朝7時からは授業、という野球以外の生活や学業も含め、「人間力」を高める努力を促した。それができなければ練習に参加させない、という徹底ぶりだ。

 グラウンドでは、「時を守り、場を清め、礼を正す」ことを重視徹底。その強烈なリーダーシップに部員たちが応え、学校での生活態度が一変し、学業成績も向上。そして弱かったチームも急成長。のちに全国大会でも優勝する「セントノアセカンダリースクール旋風」を巻き起こした。(小田島さんの著書『日本人という生き方』(エイチエス出版)参照)

高校野球チームを見ているようなウガンダナイン

 この強烈な指導は、他の学校にも影響を与えていった。彼のもとでスピリットを育くまれた選手たちは、他の学校野球部との交流や合同合宿などを行う中で、学んだ規律や礼儀、チームワークのあり方などを、率先して惜しげもなく他のチームの選手たちに伝えていったらしい。ウガンダは決して大きな国ではないだけに、その影響と広がりは早かったようだ。

 こうした土壌があるので、日本式の教育的な野球が受け入れられやすくなったのだろう。私はウガンダに派遣されたすべての野球隊員を知っているわけではないが、派遣された18人のうち11人とは面識がある。綿々と続く日本からきた野球隊員たちの顔を思い浮かべると、彼らの長年にわたる「バトンリレー」によって、ウガンダ野球は大いに成長、発展したと思わずにはいられない。

 それは試合ではなく、練習を見ているだけでもよく分かった。監督コーチの指示のもと、規律よく、練習から一体感をもって真摯に取り組むウガンダナインの姿は、まるで日本の高校野球チームを見ているかのようだ。

「オダジマは僕の人生を変えてくれました」

国歌斉唱の練習の成果を本番で発揮。タンザニアナショナルチームの国歌斉唱はどこのチームよりも大きな声で姿勢よく歌っていた。

 さて、5日間にわたるU18世界野球大会のアフリカ予選がスタートした。

 初戦でいきなり当たった優勝候補の南アフリカ戦で、新しい代表ユニフォームに身を包んだタンザニアの選手たちが、試合前に国歌斉唱を行った。我がタンザニア代表チームユニフォーム姿と、胸を張って大きな声で歌う姿は、間違いなく、大会ナンバーワンだ、と感じた。

 試合は案の上、大敗したが、その日の夜のミーティングで、私は選手たちを称え、少なくとも気持ちでは負けないでチャレンジ精神を持ってこれからも臨もう、などと伝えた。

 その翌日。試合開始前に、ウガンダのユニフォーム姿の青年が声をかけてきた。

 「ミスター・トモナリ!おはようございます。南アフリカ戦、残念でしたが、タンザニアチームはよく戦ってましたね!規律がしっかりしていて素晴らしいです」

 まだ20代中ごろのようにみえるドレッドヘア姿の彼に、「ありがとうございます。あなたは?」と訊くと、「僕はU18ウガンダ代表チームの投手コーチ、べナード・アデイと言います。僕のコーチは日本人でした」という。

 「ああ、JICAの青年海外協力隊員に教わったんですね」

 「はい。コーチの名前は、ミスター・オダジマといいます」

 「えっ!あの小田島さん?」

 「そうです。コーチ・オダジマは僕の人生を変えてくれました。日本の野球に対する取り組み姿勢は素晴らしい。ウガンダ野球はおかげでこの10年間、ものすごく発展してきました」

 爽やかな笑顔で、日本の野球の良さを語る彼が、「そうだ、一つ提案があります」と身を乗り出してきた。

 「僕の経験をタンザニアの選手たちに話させてもらえませんか?ウガンダ野球がなぜ強くなったのかを伝えたいんです」

 この大会は、国際大会だ。実力差はあれど、敵同士。親善試合ならともかく、国をかけて戦う公式戦なのだから、普通ならあり得ない申し出だ。しかし、それはおそらく了見の狭い、日本的な考え方なのだろう。フレンドリーなアフリカンからすれば、なんてことない普通のことだ。

ミーティングで話をしたベナードさん

右がドレッドヘアがトレードマークのウガンダU18代表チームのべナードコーチ。投手として現役選手でもある。
 タンザニアチームは、大会期間中、毎晩、必ず宿舎のミーティングルームに全員集合し、その日の反省点や翌日の試合のプラン、先発メンバーの発表などのミーティングを行う。

 大会2日目に、タンザニアチームは、ケニア戦に接戦の末、歴史的初勝利をあげた。意気が上がる選手たちは、その翌日大会3日目に、強豪ウガンダチームに今度は大敗を喫した。大会4日目は試合のない休養日になった。その日の午後、遅めの時間に選手をミーティングルームに集めた。ミーティングルームは学校の教室のように机といすが置かれており、まだ日が高く、日差しが室内を明るく照らしている。

 「今日は夜のミーティングの前に、ウガンダの投手コーチをお招きしてお話してもらう。べナードさん、どうぞ!」

 そう促され、ウガンダのユニフォームではなく、明るい色のジャージ姿に身を包んで登壇したべナードは、少し照れ笑いを見せた後、「まずはケニア戦初勝利おめでとう。素晴らしい試合でしたね」と選手たちを称えた。

 昨日戦った隣国ウガンダの強さを肌で感じていた選手たちは、少し緊張した面持ちだ。
「このような機会を創っていただき、トモナリ監督に感謝します。昨日は敵でしたが、今日は同じ野球仲間としてみんなの前に立っています」

 精悍な顔つきながらにこやかに話し始めたべナード。タンザニアの選手たちも少し緊張がほぐれたのか、笑みが見える。

一番大事のものは、Discipline

毎日夕方行ったタンザニアチームのミーティング風景。この場所でべナードコーチの講演会を行った。

 「昨日の試合は、ウガンダが勝ちましたが、君たちの野球に対する姿勢には感銘を受けました。規律正しく戦い、チームワークも素晴らしい。試合には負けたかもしれないけど、最後まであきらめず一生懸命だった。野球人の姿勢としては真摯でとても立派だった」

 べナードは、丁寧な英語でゆっくりと話す。小学校1年生から学校教育が英語で行われるウガンダに比べて、中学生になるまで国語であるスワヒリ語で学ぶタンザニア人は、英語力でどうしても劣る。それを配慮しているようだった。

 「ウガンダの野球の歴史はそれほど長くないが、僕たちは強くなった。僕らの強さは試合をやってわかっただろう?」

 タンザニアチームに圧勝したウガンダは、彼が言うとおり強かった。実力差は明らかで、なすすべがなかったような試合だったので、思わずうなずく選手たち。

 「僕らが強くなったのは、日本人コーチたちのおかげなんだ。ウガンダにはJICAの青年海外協力隊で派遣されたコーチがたくさんいてね。十数年、僕たちを鍛えてくれた。日本は野球のレベルが高い国だから、技術的にいろんなことを教わったし、戦術的なことも教わった」

 べナードは「でもね。一番大事なところはそこじゃないんだ」と言いながら、選手たちの表情を覗くように前かがみになってひと呼吸置いた。

 「Discipline(規律)。僕の日本人コーチは、規律を僕たちに教えてくれた。時間を守ること。場を清めること。礼儀正しくあること。相手へのリスペクトを礼で示すこと。規律あるチームはチーム力が何倍にもなる。お互いが相手のことやチームのためにやるべきことを理解し、実践できるチームは強いんだよ」

 やや強い口調で言い切ったべナードの表情が、幾分紅潮して見えた。タンザニアの選手たちからすれば、彼は7、8歳くらい年上なので、大人の隣国人だが、タンザニアのスローガンにもある、「規律」「リスペクト」といういつもの言葉が出てきたことで、受け止めやすかったのだろう。よそ見をしている選手は一人もいなかった。

恐怖と戦い逃げ惑った子供時代

 「最後に僕個人の経験を話したい」そう言って、またひと呼吸おいたべナード。

 「実はね、僕は危うく少年兵として誘拐されそうになったんだ。怖くて逃げたよ。家族から離れ、学校に寝泊まりするような子供だったんだ」

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