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在日朝鮮人「帰国事業」60年後の真実(上)

「脱北Uターン」で埋まる歴史の空白/それぞれの「生」を記録する会も始動

市川速水 朝日新聞編集委員

無国籍の2世青年は帰化を待つ/母子再会「夢のよう」

 「どこか、ふわふわと宙に浮いている感じ。まだ夢を見ているようで。あっという間に2年経ってしまいました。本当の年齢とは別に、日本歴はまだ2歳なんです。誕生日が2つあると思っています」

 東京都内の繁華街。約束の時間にバイト疲れで遅れてきた20代の青年Kさんは、人並みを縫うように現れ、お辞儀を繰り返した。脱北して2年前に来日。コンビニなどで生活費を稼ぎ、夕方から夜間中学に通う。来春の高校進学を目指している。

 身分証には「定住者」と書かれている。日本国籍取得を目指して手続き中だが、今は無国籍の扱いだ。父親を北朝鮮に残し、その後も不安な日々の連続だったためか、時々強い不安に襲われる。名前は名乗れない。

拡大脱北したKさんのスマホには、日本で再会した母親の誕生日を祝う手作りの海苔巻きや卵焼きが並んだ
 父母や叔母が1970年代に帰国し、Kさんは北朝鮮の港町に生まれた。

 幼い時に母親は先に脱北し、日本にたどりついた。Kさんは成人後、母を追うように、列車に乗り、川を渡り、国境の鉄条網と山を越えて中国側に逃れた。中国の朝鮮族にひそかに保護されて以来、東南アジアのブローカーに導かれて日本に来るまで3カ国を経由した。

 客観的に見れば、何度も命を落とす危険があったのに、あまりにも無我夢中で「何とかなるだろう」と思うしかなかったという。見知らぬ案内人にこのままついて行っていいのか、ひょっとして騙されているのではないか、突然、北朝鮮に送り返されるのではないか…と半信半疑のうちに何とか日本にたどり着いた。

 日本で支援者を通じて借家を与えられた。バイトをすれば生活費を稼げるし、日本語も上手になるはず。そう思って店員を始めたが、店員はほとんどが中国や東南アジアの人ばかりで、日本語の先生役にはならなかった。今は日本人店員が多い店を探し当て、接客と言葉の勉強中だという。

 北朝鮮でも親と離ればなれになったり、市場に出すトウモロコシやコメをつくる作業に朝から晩まで追われたりし、ろくに教育も受けられなかった。

 「日本ではこの歳で中学生ですが、ずっと勉強したかったので充実感でいっぱいです。向こうでは家事や農業で忙しいと言って学校に行かない人もけっこう多いし。教育はタダというのは噓です。先生へのお礼、賄賂など、特に小学校で一番お金がかかる。それに、帰国者や家族は相当頭がよくても良い大学には入れないのです」

 その直後、Kさんの近くで暮らす母親にも会った。2000年代初めに脱北したが、最初は息子を北に置いて行くつもりはなかったという。

 「配給が止まり、食い詰めて、生きるためには他人を騙すしかない。自分はそんな強い性格でもないし。アンコ餅を売っても生きるだけのカネが稼げなかった。代金をくれずに餅を持って行かれることもあった。このままでは一生ダメだと思い、中国に出て少し稼いだ後に北に戻るつもりだったんです」

 知人のさらに知人を頼って中国側に出たが、中国当局の取り締まりから逃れるため、都市部を離れて田舎で農作業を手伝う日が1年以上続いた。北京の韓国大使館に助けを請う手紙も用意したが、身元がばれた後にどうなるのかが怖くて出せなかった。やはり慣れ親しんだ日本を目指すしかないと思い、日本の親戚に連絡して日本のNPO「北朝鮮難民救援基金」の支援を受けられることになった。カンボジアなどを経由して日本に渡った。

 十数年後、中国に出た息子から電話があった時は驚きと感激で震えた。自分の携帯電話の番号が伝わっていた。生きていた。息子Kさんと成田空港で再会した時、抱擁は何十秒も続いた。

 再会の奇跡を生んだのは、北朝鮮の弱まってきた監視体制、賄賂さえあれば、ある程度中朝間を往来できる国境の規律の緩み、携帯電話の発達、日本や韓国の脱北者保護・受け入れネットワークの強化、身分の証明さえできれば日韓への渡航証明書が比較的容易に発給されることなどだった。

 「10年以上、離ればなれだった息子と奇跡的に会え、他人の目や耳を気にせず自由に話せるのが嬉しい。頑張って働けばちゃんと生きられる。夢のような生活です」

 母子とも「夢のよう」と同じ言葉を口にした。

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筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

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