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令和元年に見えた「変わらない日本」の実態と課題

社会を覆う奇妙なほどの安定。外部ショックを隠す安倍政権。2020年はどうなる?

三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

 平成が幕を閉じ、令和になってはやくも7カ月が過ぎました。あらためて思うのは、日本社会の奇妙なほどの安定とレジリエンス(強靱さ)です。

 それは、正式な「革命」をせず、旧制度を利用するかたちで1867年に明治維新をなしとげ、近代国家を創り上げるにいたったこの国ならではといえるし、GHQの統治下、敗戦後の旧制度をいかしながら焼け跡からの民主化と復興をなしとげたときにもみられた特徴かもしれません。

新たな時代へ密やかに移行

 その背景を見やるとき、こうした近代日本の連続性を支えたものとして、皇室の存在がほの見えてきます。

 不思議なもので、さんざんバッシングをされてきた雅子さまは、今や堂々と皇后として振舞われ、国民はそれに感銘を受けています。皇太子であった今上陛下も、天皇としての振る舞いが、以前から天皇であったように馴染んでおられる。きっと年が明ければ、令和の時代がずっと以前から続いていたかのように、ごく当たり前に感じられることでしょう。

 そう考えてみると、2019年という年は、改元と天皇の代替わりに支えられ、日本が新たな時代へと継続性を保ちながら密やかに移行する、そんな年だったようにも思えます。

「悠紀殿供饌の儀」が行われた大嘗宮(だいじょうきゅう)=2019年11月14日、皇居・東御苑

安定性が際立つ「変わらない日本」

 今の日本社会にみられるある種の安定性は、明らかに内政の混乱期に突入している欧州や米国などの先進諸国に比べて、際立っています。まさしく「変わらない日本」なのです。

 少しずつしか変化が起きない日本には、歯がゆさを感じるものの、それが大きな分断や動乱を回避してきたことも、また確かです。政治の混乱に疲れ切った欧州や米国は、日本に学びたいとさえ思っているかもしれません。

 このように連綿と歴史が続いてきたかに思える日本ですが、だからといって、必ずしも価値観が連続していたわけではありません。

 現在、昔からの日本の伝統のように言われているものの多くは、大して長い歴史を持つものではない。たかだか近代以降に取り入れられたものにすぎません。たとえば、中央集権のあり方や、専業主婦というライフスタイル。これらは明らかに近代以降に導入されたものです。

状況依存的に変化に対応してきた保守政治

 「悠久の歴史」を持つ日本ですが、実はそのときにおかれた内外の環境によって、さまざまな変化が進行してきました。最近では、少子高齢化を受けた社会保障の変容であり、中国の台頭や米国からの圧力による日本の立ち位置の変化であり、女性の社会進出と外国人労働者の導入による多様化の進展です。

 日本の保守政治は、このような変化に対して、状況依存的に対応してきました。綿密な根回しを通じて、どこまでの改革案を通せるか。どれほどの財政規律を目指すのか、米国の要求にいかほど応じるのか。今年税率が10%に引き上げられた消費税をはじめ、この数年、政治問題化してきた案件は、このような内外の環境変化に、政治が一周回ずつ遅れながら対応してきたものにすぎなかったといえます。

 目に見えるかたちで表出している「政局」やスキャンダルとは異なる世界が、「永田町」には存在しているのです。たいていの問題について、日本では、先鋭な改革派も頑迷なイデオロギーも存在しない。そこで幅をきかすのは、利害調整の政治です。

自民党本部

与野党の政策に大きな違いなし

 利害調整の政治に終始する限り、与野党の政策目標もアプローチも、さほど大きな違いは現れません。それだからこそ、政策ではなく、「政局」ばかりがそうした対立を代表してしまうのではないでしょうか。

 安倍晋三総理は民主党政権を「悪夢」と表現しましたが、実際のところ、民主党政権で目指された政策の多くは、現在に受け継がれています。そして、民主党政権もそれ以前の自民党政権時代に存在していた改革思想を受け継いでいました。

 具体的に言えば、民主党政権下でも行われた規制改革会議は、2007年の発足以来行われてきたものと精神や政策課題はさほど変わっておらず、連続性があります。民主党政権は、同じ課題に少し大胆な提案をしたり、少々異なるアプローチを取ったりして対応したにすぎず、方向が大きく異なるものであったとは思えません。

 むしろ、菅直人総理(2010年当時)が野党・自民党が打ち出した消費税10%の提案を独断で取りこみ、民主党政権の方針として打ち出して波紋を呼んだように、党内でのすり合わせができないままに野心的な政策を目指したことこそが、民主党政権の失敗の原因だったのだと思われます。

ルールメイキングをめぐる議論を

 誰がどういった改革を担うのか。究極的に見れば、これこそが争うべき物事の本質であり、権力闘争の目的のはずです。長期政権となった安倍政権には、さまざまなスキャンダルや綻(ほころ)びが存在します。そういうときにこそ、単に政権を倒すということだけでなく、ルールメイキングをめぐる議論へと誘導していかなければならない。

 たとえば「桜を見る会」を問題にするならば、政治資金収支報告書にはこのように記述すべきだというルールをつくるべきです。公文書の問題は、これをどう保全するのかという観点から考えていくアプローチが必要です。

 「桜を見る会」で浮上した行政文書の定義をめぐる問題は、日本における公文書管理のいい加減さをあらためて浮き彫りにしました。米国では、公文書は政府の活動の記録であり、国民の財産であるという考え方に基づき、もっと積極的に活かしています。公文書を一般の人々に向けてわかりやすく展示する試みも活発ですし、人びとの権利意識も強い。

 米国でも、前回の大統領就任式の観覧席のチケットが誰に送られたのかが話題になった際、文書が残されておらず分からずじまいとなっており、すべてのデータが残っているというわけではありません。それがスキャンダル化するということもありませんでした。しかし、日米の違いは、米国は本質的な政策過程をめぐる文書はきちんと残しているということ。

 「桜を見る会」の招待客リストについては、実際には行かなかった招待客も含まれているはずですし、プライバシーの観点も問題となります。あらゆる公文書がすぐに開示されるべきだとは思いませんが、記録を取らない、あるいはすぐに廃棄するという習慣は、これを機会に改めるとともに、有権者の財産としてこれをいかすルールをつくるとよいのではないかと思います。

日本に破綻のリスクはあるか

 権力闘争は繰り広げられても、なかなか政権交代に繋がらないという日本特有の問題はいったんおいて、今後の課題として興味深いのは、時代の変化が進む中で、「変わらない日本」が破綻(はたん)することはあるのか、もし破綻するとすれば、そのきっかけは一体何だろうかということです。

 常識的に考えれば、そのきっかけは、政治的、経済的あるいは安全保障上の外部ショックということになるでしょう。後述するように、私はすでに一部の外部ショックは日本に降りかかっているが、政権がそれをあからさまにしないことで、表立った問題になっていないのだと考えています。

 安倍政権が通算で憲政史上最長の政権となったのが今年の11月でした。そろそろゴールが見えてきた長期政権の日本政治史における意味合いを探る作業も、これから活発になるでしょう。

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