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COP初参加の小泉進次郎環境相はユロになれるか

フランスの環境政策に影響を与えたニコラ・ユロ前環境移行連帯相から学ぶべきこと

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

記者会見する小泉進次郎環境相=2019年11月26日、環境省、

  スペイン・マドリードで12月3日から13日まで地球の環境問題を地球規模で論じる第25回国連気候変動枠組み条約締結会議(COP25)が開かれている。日本からは小泉進次郎・環境相が出席、11日には日本政府代表として演説する予定だが、国際舞台レビューとなったニューヨークでの気候行動サミットでのスキャンダラスな「セクシー発言」の二の舞いはしてもらいたくない。

 クリスタル夫人の父親の祖国フランスには、ニコラ・ユロ(64)という元環境相がいる。自らのブログで“同士”と呼んだ夫人からは、フランス人なら誰でも知っている本物の「環境活動家ユロ」のことを多少なりとも聞いていると思うが、ここで紹介したいと思う。どこがどう違うのか、夫人と大いに論じてもらいたいところだ。

「自分にウソをつきたくない」と突然辞任

 2017年5月に発足したマクロン政権の目玉閣僚だったユロ環境移行連帯相が、就任から1年余の18年のバカンス明けに突然辞任した際は、支持率が下がっていた政権をもろに直撃するかたちになった。フィリップ首相はフェイスブックに「文明の崩壊の真の可能性を引き起こした」と書き、その辞任を嘆いた。「文明の崩壊」とはちと大げさだが、ユロがお飾り大臣でなかったなによりの証拠だ。

 「自分自身にウソをつきたくない」。ユロがそう言って同年8月末にニュース専門ラジオで辞任を表明した直接の引き金は、その前夜にあったエリゼ宮(大統領府)での大統領と「狩猟の会」との会合だった。

 ユロは動物愛護、環境保護の立場から狩猟に反対だ。だが、大統領はこの会合で、「狩猟」の免許証の価格を400ユーロ(約5万円)から半額の200ユーロに引き下げることを明らかにするなど、大サービスをみせた。ユロには会合の内容にについて、事前に知らせがなかった。会合には有名なロビイストも同席しており、メンツ丸つぶれのユロは顔面蒼白になったと伝えられる。

正真正銘の「環境活動家」

 閣僚就任前のユロの肩書は「環境活動家」だ。なんとなくうさん臭い肩書だが、ユロの場合はまさに正真正銘の「環境活動家」。これ以上、ぴったりの肩書は見当たらない。2015年にパリで開かれた「COP21」では、オランド仏大統領(当時)の特使として世界中を飛び回り、会議の意義などについて宣伝した。

 それより以前は、テレビで環境ルポ番組「ウシュワイヤ」(1988~2012年)の企画者兼製作者で、かつ主役だった。1時間半の番組はフランスで大人気だった。

 そう書くと、これまたうさん臭さが付きまとうかもしれない。残念ながらやらせが多かったり、知識がほぼ皆無のタレントが、ハリソン・フォードの「インディー・ジョーンズ」のなりそこないのような“冒険家”風の服装で登場する、日本のテレビ局のルポ番組を想起させるからだ。しかし、「ウシュワイヤ」もまた正真正銘の自然ルポ番組で、それまでフランスでは比較的関心が薄かった環境問題の重要性を訴えた、画期的な番組だった。

 チリのパタゴニアでは氷の割れ目から深度50㍍の深海に潜り、インド洋のマダガスカルでは谷間を何百㍍も宙づりで上昇。ロッククライミングもすればプロペラ機も操縦し、象にも乗る。そして、絶滅寸前の野鳥や昆虫を見つけたり、エスキモーと出会ったり。フランス人は「未知との遭遇」にワクワクしながら、テレビの画面を見つめた。

ブルターニュで聞いたユロの言葉

ニコラ・ユロ環境連帯移行相=2018年8月22日

 2008年に放映された20周年番組は圧巻だった。メキシコのトルコ石色の河川、グリーンランドの氷山、ジャワ島やカトマンズの鋼色の湖、北太平洋のパラオ諸島のクラゲが群生する海底、水質汚染著しいガンジス川などなど、深海や上空からの撮影など変化と迫力に富んだ映像で1時間半にわたり視聴者を魅了しながら、「水は命の起源」とのメッセージを明確に伝え、自然や環境の保護の重要性を強く訴えた。

 当時、新聞社のパリ特派員として、フランスの北西部ブルターニュ地方の小村に住むユロを訪ねたことがある。

 「当初から一貫して自然がテーマだったが、番組開始の20年前は、僕も若かったし、冒険心も強かったので地球のあちこちの珍しい自然を紹介するという部分が強かった。それが番組に取り組むうちに、このままでは自然も生態系も破壊されるという危機感が徐々に募った。人間が海洋や土壌を開発し続けて、あらゆる生態系を破壊すれば、世紀末には森林も現在の50%に減少するだろう。生体系の中に人間が含まれていないとは言えないはずだ」という言葉を、その真摯な口調とともに思い出す。

好感度調査では上位の常連

 テレビに携わる前は報道カメラマンだった。1955年4月30日、北部リール生まれ。砂糖会社を経営していた父親が15歳の時、死去したため、医学部で1年学んだ後、家計を助けようと通信社でカメラマンとして働き出し、アフリカの紛争地帯やグアテマラの大地震など、世界各地を取材した。

 その後、ラジオ記者を経て、88年に自然対象のルポ番組「ウシュワイヤ」を始めた。90年に「人間と自然のためのウシュワイヤ基金」を創設し、環境保護に本格的に乗り出す。ウシュワイヤは、報道カメラマンだった頃にルポして印象に残ったアルゼンチン最南部の人口約4万5千の町の名前。「奥深い所にある港」の意味だ。

 好感度調査では上位の常連だった。たとえば2008年の世論調査では、好感度の1位がサッカーのW杯優勝(1998年)の立役者、フランスサッカーの華ジダン、2位がノア(元全仏オープン優勝者で歌手)で、ユロは3位だった。その人気の秘密は、危険を伴うルポを飄々(ひょうひょう)とこなし、事前の綿密な取材で得た知識と現場での貴重な体験を、自慢もせずに分かり易く解説したからだ。

フランスの環境政策に多大な影響

 フランスの環境政策への影響も見逃せない。07年5月発足のサルコジ政権では、首相に次ぐ内閣ナンバーツーの座を環境持続的開発相がしめたが、これは大統領選戦中にユロがサルコジを含む各候補者と交わした「環境協定」に基づくものだ。

 実は、ユロは世論調査の「大統領にしたい人」の支持率で一時、サルコジ、社会党の公認候補ロワイヤルに次ぐ「第3の男」として浮上していた。出馬は見送ったが、その代わりに彼が求めたのが、「副首相格の持続可能な開発相の創設」「二酸化炭素削減目的の税の創設」などを盛り込んだ「環境協定」だった。「彼らが署名したのは、僕が出馬して票を食われたくなかったから」と苦笑していた。

 大臣への誘いは、サルコジの前のシラク政権時代(1995~2012年)にも何度も持ち掛けられたが、いずれも固持。サルコジからの就任要請も蹴った。「独立を確保しておきたいから。大臣になれば、政府の方針があるので自由に発言できない。在野にいれば、政財界に自由な意見が言える。サルコジ大統領とは定期的に接触して意見交換している」と当時、述べていた。

 サルコジ政権時代(2007~12年)には、官民が一堂に会す「環境会議」を3日間にわたって主催。「炭素税」や「遺伝子組み換え(GM)農作物の中止」「有機農業の推進」などユロの提案も盛り込んだ環境政策の方針を決めた。サルコジ政権はこの環境政策に基づき、遺伝子組み換え(GM)トウモロコシの栽培中止を決めた。

タンカー「エリカ」遭難事件を巡る判決を評価

 ユロの活動と存在は、環境重視の機運を大いに盛り上げ、「裁判で自然に初めて価格が付いた」と評価される原油輸送タンカー「エリカ」の遭難事件を巡る判決にも影響を与えた。

 1999年、悪天候のためブルターニュ沖で「エリカ」が遭難、大量の原油が流出して環境破壊を引き起こした事件だが、パリ軽罪裁判所は「環境破壊」を厳しく断罪し、タンカー会社や老朽化した「エリカ」に運行許可を与えた審査会社はもとより、タンカーの雇主の仏石油大手トタルにも有罪を宣告し、1億9200万ユーロ(当時の換算で約307億円)の賠償金を命じた。

 ユロはブルターニュ地方で少年時代を過ごしただけに、原油まみれで真っ黒になった海鳥の多数の死体や、大西洋の美しい海岸や岩や砂浜がコールタールで固められた悲惨な光景には大いに心を痛めた。インタビューの時、「かつては、石油会社まで有罪にならなかった。この判決は、経費が安ければ、事故を起こす可能性のあるタンカーだって平然と雇う者に対し、強い警告を発した点で評価できる」と指摘した。

 「20年前は、地球は無限で人間は滑稽なほど小さな存在だと思っていた。今、実感するのは、地球は小さく、脆く、人間の行動力は巨大だということ。そして、この脆い地球を人間の巨大な行動力で滅ぼしてはならないということだ。我々は即刻、手を打つ必要がある。ポスト京都議定書を決める来年(09年)のデンマークでの会議は、地球を救う最後のチャンスだ」との言葉も心に染みた。

 当時のユロは、コルシカ島で長年暮らした後、懐かしいブルターニュ地方の海辺の町に移住して3年目。「毎日、潮の満ち引きを見ているいると、心が休まると同時に、地球がますます愛しくなる」と語っていた。彼のそうした思いが人類共通のものとなれば、地球環境問題への取組はもっと前進するかもしれないとも思った。ユロは今も同地方に住む。

「党派にとらわれない政治」に共鳴して入閣

 シラク、サルコジに続く左派のオランド(2012~17年)と、左右の党派を超えた3人の大統領からの熱心な入閣の要請を固辞してきたが、マクロン大統領の要請についに入閣。「左右の党派にとらわれな政治」に共鳴したという。

 環境相在任中の最大の功績は、パリ近郊のノートルダム・デ・ランド空港計画の撤廃だ。新空港建設の必要性などが十分に検討されないまま、オランド政権時代に建設が決まったが、ユロの決断で1000㌶の広大な土地が守られた。この決断は、周辺の農民や住民はもとより、国民の過半数以上から支持された。

 フランス最古のフェッサンエイム原発の4年以内の閉鎖、

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