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中村哲医師の死と人道支援NGOの活動環境の悪化

東西冷戦期、冷戦終結後、9・11事件後……。世界の紛争地はどう変わったのか

熊岡路矢 元日本国際ボランティアセンター(JVC)代表 日本映画大学特任教授

紛争の対立構造が変化

拡大中村哲医師を追悼して並べられた写真パネルや著書=2019年12月12日、福岡市博多区
 東西冷戦の終結を受け、1990年代初めにソ連邦およびソ連・東欧圏が崩壊。世界は「平和の配当」を受けると考えられた。ところが、現実はそうならなかった。

 いわばアメリカの一人勝ちの世界で「援助競争や宣伝」の配慮や必要性が減少するなか、経済・金融のグローバル化の影響を受けて世界的に貧富の差が広がり、世界各地で紛争の芽がそれぞれに膨らみ始めた。他方、いわば「ニーズと顧客」を失ったアメリカなどの巨大軍需産業や軍産複合体は、新しい「ターゲットと消費者」を求めるようになっていった。

 そのような状況のなか、90年代には、それ以前の対立構造とは異なる紛争が起きてきた。ロシア内におけるチェチェン紛争や旧ユーゴにおける民族紛争がそれである。一見、民族、宗教の争いと見えつつ、その背後には常に資源、稀少金属、土地、水にからむ利権紛争があった。

 アフガニスタンでは、旧ソ連軍が撤退した後、それまで「対ソ連」で共闘・協力していたアメリカと一部のイスラム戦闘勢力(アル・カーイダなど)の間の対立が深まっていった。湾岸戦争後、米軍がイスラム聖地をもつサウジアラビアで展開したことへのアル・カーイダ側の反感が、両者の亀裂の始まりであると言われた。

 この頃から、NGOもジャーナリストも、現地の一部の政治勢力・武装勢力から敵視されるようになり、危険が徐々に増した。チェチェンでは1996年、ICRC(赤十字国際委員会)医療チームが襲撃され、看護師などが殺害された。反政府勢力のしわざという見方がある一方、反政府側を悪者にするために政府側が仕組んだという情報もあった。西側であれ東側であれ、それまではNGOにとって安全確保の交渉相手がある程度具体的に見えていたが、それが次第に見えにくくなっていった。

9・11事件後に顕在化した「二分法」

 パレスチナ・イスラエル紛争や朝鮮半島の分断への解決ふくめ、「平和な21世紀」が見えたかに思えた21世紀初め、2001年9月に航空機を利用した「9・11」殺傷事件が起こる。そして、これを“活用するかたち”で、米ブッシュ政権は戦争にのめり込んだ。

 アメリカは、アフガニスタンおよびイラクでの戦線を拡大する過程で、「アメリカの味方か、それとも敵=反米勢力の味方か。(中間・中立の立場は認めない)」という単純な二極選択を、世界に迫った。対する反米勢力も同様の二者択一を迫った。

 そして、この「二分法」はNGOをも直撃した。

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筆者

熊岡路矢

熊岡路矢(くまおか・みちや) 元日本国際ボランティアセンター(JVC)代表 日本映画大学特任教授

1947年生まれ。1980年、インドシナ(カンボジア、ラオス、ベトナム)難民救援活動を始め、日本国際ボランティアセンター(JVC)の創設に参加。JVCでは、カンボジア代表、ベトナム代表、代表理事などをつとめ、2007年から現職。北朝鮮にはコメ支援以後、10回ほど訪問。東南アジアでの難民・緊急支援・開発活動、南アフリカ、エチオピア、パレスチナなどでの短期の人道支援にも従事する。東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」客員教授、UNHCR駐日事務所アドバイザー、朝日新聞紙面審議委員などを歴任。『カンボジア最前線』(1993 岩波新書)、『戦争の現場で考えた空爆、占領、難民―カンボジア、ベトナムからイラクまで』(2014 彩流社)など著書多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです