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中村哲医師の死と人道支援NGOの活動環境の悪化

東西冷戦期、冷戦終結後、9・11事件後……。世界の紛争地はどう変わったのか

熊岡路矢 元日本国際ボランティアセンター(JVC)代表 日本映画大学特任教授

人道支援と対立する「二分法」の論理

 本来、中立でないと成り立たない紛争地での人道支援とこの「二分法」の論理は、真っ向から対立する。反米勢力の味方と見なされれば米英軍に敵視されるし、親米と見なされれば反米勢力の批判・攻撃の的になるからだ。

 欧米系NGOは当然中立を旨として活動していたが、イラク戦争の枠の中では「有志連合派」と見なされ、活動の休止、あるいは撤退を迫られた。国連安保理などで米英の戦争提起に反対したフランスやドイツのNGOも、現場では米英NGO同様排斥された。

 当初は私たち日本のNGOに好意的であったイラク社会も、自衛隊のイラク派遣を契機に、厳しい目を向けるようになった。やむを得ずイラクの隣国であるヨルダンに活動の軸足を移し、活動は現地スタッフを中心におこなうようにした時期もあった。

 ちなみに、この時期、メディアの世界も「二分法」の影響で、米軍と共に(embedded=「同床で」)米政府・軍側の立場で「取材」する側と、独自に取材を行う側とに分かれた。故意か事故か、有志軍の攻撃を受けたメディアもあった。

 中立を許さない「二分法」によって、政治的に偏らずに人道支援を続けようとした国際NGO・現地NGOは、米国勢力、反米勢力の双方から敵視されることが多くなった。アフガン戦争、イラク戦争以降、人道支援NGOの安全環境は大きく損なわれ、死傷者、拉致被害者が増えた。大きな国連機関、国際NGOや著名な個人の場合(2003年8月のセルジオ・デメロ国連イラク代表や今回の中村医師のような場合)には、大きなニュースにもなるが、地元のNGOスタッフや活動に関わる市民の犠牲については広く知られることもなかった。

アフガン・中東を不安定にしたアメリカの戦争

 そもそも、9・11事件の首謀者・実行部隊をアル・カーイダとするなら、アフガニスタン全体への攻撃は必要なかった。圧倒的な軍事力、特に空軍力をもつアメリカであれば、軍事小国アフガニスタンと政治・外交交渉を行うことで、目的(たとえば、アル・カーイダとの協力を止める)を達成できた可能性は高い。

 また、9・11事件と関係なく、アメリカを攻撃する意図のないイラクを相手にした、必然性のまったくないアメリカの対イラク戦争はさらに罪が重い。イラクを破綻社会に追い込んだ。イラク社会を崩壊させただけでなく、結果的に隣国シリアの不安定化と内戦・戦争の激化を招き、「イスラム国」台頭を許した。

 今回、中村医師らが亡くなった南西アジア(アフガニスタン)や西アジア(=中東。イラク、シリアなど)の不安定化は、アメリカの二つの戦争が引き起こしたものに他ならない。

拡大vladm/shutterstock.com

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筆者

熊岡路矢

熊岡路矢(くまおか・みちや) 元日本国際ボランティアセンター(JVC)代表 日本映画大学特任教授

1947年生まれ。1980年、インドシナ(カンボジア、ラオス、ベトナム)難民救援活動を始め、日本国際ボランティアセンター(JVC)の創設に参加。JVCでは、カンボジア代表、ベトナム代表、代表理事などをつとめ、2007年から現職。北朝鮮にはコメ支援以後、10回ほど訪問。東南アジアでの難民・緊急支援・開発活動、南アフリカ、エチオピア、パレスチナなどでの短期の人道支援にも従事する。東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」客員教授、UNHCR駐日事務所アドバイザー、朝日新聞紙面審議委員などを歴任。『カンボジア最前線』(1993 岩波新書)、『戦争の現場で考えた空爆、占領、難民―カンボジア、ベトナムからイラクまで』(2014 彩流社)など著書多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです