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韓国で暮らす難民の人々の現状は?

安田菜津紀 フォトジャーナリスト

丘の上の事務所前に立つ、ピナンの代表イ・ホテクさんとオ・ユンジョンさん

 ソウル特別市南部、チャンスンベギ駅に降り立つと、韓国では珍しく台風が直撃する予報が出ているためか、強まる風が時おり道端の木の葉を巻き上げるように吹き抜けていった。飲食店が立ち並ぶ大通りから少しそれ、民家に囲まれた細い坂道をのぼる。小高い丘の頂までくると、大きなイチョウの木に守られるように佇む静かな平屋の住まいにたどりついた。ここは難民支援に取り組むNGO「ピナン」の事務所兼シェルターとなっており、入り口には英語やポルトガル語、様々な言語で表記されたポスターや看板が並んでいる。

シェルターを設け、難民を支援

 「ようこそ」と迎えてくれたのは、代表のイ・ホテクさんと、オ・ユンジョンさんだ。ピナンは元々1999年に、脱北者支援のために設立された団体だった。「脱北者を支援する団体は他にもたくさんあります。ただ、難民の問題がメディアで取り上げられるようになったにも関わらず、難民を支援する団体はそう多くありません」というホテクさん。脱北者を支える活動を継続しながらも、現在では北朝鮮以外の国々から逃れてきた人々の支援に力を注いでいる。

 このシェルターから徒歩5分ほどのところにも、別途女性用のシェルターがあり、エジプトやコンゴ、イエメン、エチオピアなど、難民申請の結果を待つ男性10人と、女性5人が身を寄せている。

 ちょうどリビングにいた北アフリカ出身の男性は、流ちょうな英語でホテクさんと会話し、「台風なんて初めて経験するよ」としばらく何気ない話題で談笑していた。ドイツ語など5カ国語を操るという彼も、「この国ではそれでも、まず韓国語を話さなければ職につけない。自分の身に着けてきた言葉が今は生かせないんだ」と唇を噛む。

ホテクさんと談笑するシェルターで暮らす男性

 この日、近くの施設で難民支援関係者の会合があり、コンゴ民主共和国出身の難民の方々がパフォーマーとして招かれていた。韓国に逃れて10年が経つというフレディさんをはじめ、ジャンベ奏者や歌い手が一堂に集った。「魂が守られること、それが生きていくために最低限必要なことです」。そんなフレディさんの言葉で演奏が始まり、彼らは故郷の歌を力強く披露していった。長年韓国での暮らしを続ける彼らでも、「言葉の壁だけではなく、仕事の仕方、物事の考え方など、とまどうことはいまだにある」という。

支援関係者の会合で演奏するフレディさん(右)

 彼らの中にはすでに、韓国で子育てをしている人もいる。子どもたちは韓国語を流ちょうに話し、韓国の文化で育っている。そのため家庭内でも文化の違いを感じることがあるという話も、日本で暮らす難民の方々の悩みに通じるものがある。

 韓国へと逃れてくる難民の人々の出身国は、パキスタン、インド、カザフスタン、中国、エジプト、シリア、ナイジェリアと多岐に渡る。韓国は今どのように難民を受け入れ、そしてどのような課題に直面しているのだろうか。日本の制度とも照らし合わせながら見ていきたい。

日本を上回る難民認定率

 日本は難民条約(難民の地位に関する 1951年の条約)に1981年に加入、それに伴い従来の出入国管理令を改正し、「出入国管理及び難民認定法(入管法)」を翌年から導入した。韓国は1992年に難民条約に加入し、翌1993年の出入国管理法改正で難民関連条項を新設した。

 ただその後、難民保護のためにはこれまでの出入国管理法から独立した法律が必要だとする支援団体などの働きかけもあり、2012年にアジア地域で初となる独立した「難民法」が新たに公布された。

 UNHCRによると、日本の2018年の難民認定率は0.25%と極めて低く、8月に来日したグランディ高等弁務官も、「難民認定に特化した法律があればよい」と法整備を求めている。韓国でも、難民認定率の低さが度々指摘をされてきたが、それでも2018年は3.1%と日本を上回る。認定を受けられるまでの年数も、日本が平均約2年半ほどであるのに対し、韓国は1.4年ほどだ。

訪問者を温かく迎えるピナンのシェルター

 韓国の難民法8条3項は「事務所長等は、必要と認めるときは、面接過程を録音又は録画することができる。ただし、難民申請者の要請があるときは、録音又は録画を拒否してはならない。」と申請者の意思を尊重するよう定めている。「紙の上の記録だけでは、聴き取りや訳に間違いがなかったかなど、後から検証することはできません。もしも齟齬があった場合、裁判の場などで“そんなことは言ってない”と混乱が生じてしまうでしょう」とホテクさん。

 日本では、インタビューを録音、録画するための制度はいまだ整っていない。出入国在留管理庁に直接問い合わせをしてみたが、「録音などはしていない」との回答だった。たとえ入管側が調書作成のために録音をしていたとしても、申請者側に開示されることはない。もしもインタビューの記録と実際の裁判での証言が食い違った場合、「なぜ違うのか」と申請者自身が不利に立たされてしまう可能性がある。

難民調査でジェンダーへの配慮

 また、韓国の難民法8条2項には「難民申請者の要請がある場合、同性の公務員が面接をしなければならない。」とある。

 日本では法務省が内部規則として「難民認定事務取扱要領」及び「難民異議申立事務取扱要領」を作成し、事務の取扱いを具体的に定めている。その「難民認定事務取扱要領」で、「申請者が女性の場合は、可能な限り女性の難民調査官に担当させる。」とされているものの、あくまでも出来る限りの「配慮」であり、申請者に選択権があるようには書かれていない。そして性被害などのトラウマを背負っているのは、女性だけとは限らないはずだ。

 2017年3月、性的暴行などを受け、難民申請中だった女性が、東京入国管理局の難民審査で、難民審査参与員から「美人だったから狙われたのか」という質問を受けたとして、代理人弁護士が東京入管に抗議している。難民審査参与員は、法律や国際情勢などに詳しい有識者から選ばれ、難民不認定の審査請求手続きの審理に三人一組で参加し、認定の最終判断をする法務大臣に意見を述べる役割を担っている。けれども参与員の多くが男性であり、女性3人でグループを組むことがそもそも難しいのが現状だ。

 韓国ではこうした制度を築くまで、ピナンをはじめ、多くの支援者や団体の働きかけがあった。民間のNGOだけではなく、学者、市民団体、法律の専門家からなる「国家人権委員会」が、公的機関でありながら政府とは独立した形で実態調査を続けてきたことも大きい。

ソウル市内のモスク。多くの移民、難民の人々の拠点の一つだ

 ただ、これをもってして日韓どちらかが優れている、と安易に伝えたいわけではない。韓国の中でも課題はいまだ多く残されているという。

 難民認定が受けられず、人道配慮による在留許可によって滞在資格を得た人々の立場は脆弱なままだ。労働許可を得ることはでき、今年に入り国民健康保険への加入は認められるなど徐々に改善はされてきているものの、職を得られなかった場合の生活支援は限定的だ。職を得られたとしても、仕事場が変わる度に許可を新たに取らなければならないという手間もある。

難民申請に至るまでに壁

 そもそも難民申請に至るまでにも壁がある。空港などに到着し、入国審査前に難民申請を試みる人がいるとする。しかしまずは、難民認定の審査が行われる前に、本当にその人が審査に進むべきかどうか、法務部長官(日本でいう法務大臣)が判断を下すことになっているのだ。難民認定のプロセスに進む前のスクリーニングシステムのようなものだ。最初の結果は7日以内に告げられるとされているが、結果を待つ間、トランジットエリアなどで待機しなければならない。

 「難民申請の仕組みを濫用されないためには必要」という声がある一方で、本来保護されるべき人々までがふるいにかけられてしまう可能性がある。

 2018年12月、迫害から逃れるためにアンゴラから4人の子どもを連れて仁川空港に降り立った夫婦が、「難民と認める事由がない」として、審査の機会を与えられずに空港で寝泊まりする日々を余儀なくされた。

 今年9月、ソウル高裁が「アンゴラ政府の迫害から逃れようとする切迫した状況と見る余地もある」としたため、ようやく難民審査を受ける道が開かれた。それまで家族は空港での待機を続け、幼い4人の子どもたちは9カ月間にわたり、教育を受けることもできなかったのだ。

 命の危険から逃れてきた難民を受け入れることと、システムの濫用を防ぐこと。現行制度はそのせめぎ合いの中にある。

ピナンのシェルターには、英語やアラビア語など、様々な言語の表記が並ぶ

 韓国国内で難民問題が大きく注目されたのは昨年のことだった。南部に位置する済州島では観光客を呼び込むため、多くの国からの訪問者をビザなしで受け入れていた。そこに紛争が続く中東の国、イエメンからおよそ500人の難民が逃れてきたのだ。受入反対運動には70万人近くの署名が集まり、各地でデモを引き起こす事態になった。そして韓国政府は昨年6月、イエメンを「ビザ免除対象外リスト」に追加した。

 「日本と同じように韓国も、他の諸国ほど多くの人種や民族が交じり合ってきた国家ではありませんでした。まだ慣れてない課題が突然突きつけられたからこそ、偏見も一気に広がってしまったのでしょう」とホテクさんは語る。

 済州島の難民問題は、全国的な議論となった。「“治安が悪化する”、“彼らは貧しくて危ない”、“重荷だ”、“仕事を奪われる”と、日ごろは人に面と向かって言えないような言葉が飛び交い、メディアも包み隠さず懸念を表明していました」。

 済州島を巡る報道で、「難民」という存在を初めて知った人々もいるという。問題を議論するためには、まずは「知ること」が大切だが、こうしたセンセーショナルな報道で初めてその存在に触れた人々が多いからこそ、偏見による誤解や恐怖も広まってしまったのかもしれない。こうした分断に対し、ピナンはどのようにアプローチをしているのだろうか。

難民は“与えられるだけの存在”ではない

 「私たちのシェルターも、近所の人々は最初、“何の施設だろう”、“どうして外国人がたくさんいるんだろう”といぶかし気に見ていました」と語るユンジョンさん。難民問題がメディアで大きく取り上げられることが、結果的に施設の認知度もあげることになった。近所との関係は極めて良好だという。シェルターでは、近所の人々を招いて毎週火曜日にコーヒー会を開催したり、バリスタクラスや卓球大会を開いたりすることもあるという。「大切なのは難民が“与えられるだけの存在”ではないことを知ってもらうことなんです」とユンジョンさんは強調する。「ここで暮らす難民の人々自身が先生となって、彼ら自身の言葉を教えたりすることもあるんです。様々な活動を手伝ってくださる近所のボランティアさんたちが、この時は逆に彼らの生徒になるんですよ」。

支援者たちの会合で、アンゴラ出身の女性たちが伝統ダンスを教える

日韓がそれぞれの課題を学び合うことが大切だ

 触れたことがない未知の存在にはどうしても、想像の中で恐怖や嫌悪感が膨らんでしまうことがある。地道な活動ではあるものの、偏見を少しずつ解いていくためには、顔の見える距離での交流を重ねることが何よりの力になるのだろう。

 実は韓国が最初に難民認定のための制度を導入する際、日本の仕組みを大いに参考にしたとされている。しかし現行制度の違いを示すことで、どちらかの優劣を議論したいわけではない。日韓関係の悪化が取りざたされてしまっている今だからこそ、大切なのは互いの利点を生かし合い、それぞれの課題から学び合うことではないだろうか。