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ガーナにも「甲子園球場」ができた!(動画あり)

野球人、アフリカをゆく(18)アフリカ野球がもたらした予期せぬ変化とは

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

「ガーナ甲子園プロジェクト」とは

拡大アクラの国立競技場で行った「ガーナ甲子園プロジェクト」事業発表記者会見。 右から二人目がケイケイ。中央に筆者。左隣にナショナルスポーツカウンシル会長。

 今回私がガーナに来た目的は、「ガーナ甲子園プロジェクト」のモニタリングだった。

 ここで、2011年3月に始まったこのプロジェクトの概要を簡単に説明しよう。

 アフリカの国々の野球選手の最大のモチベーションはオリンピックだった。そのための予選となる国際大会があり、それに参加するために国が予算を出す。ところが、2008年の北京オリンピックを最後に野球はオリンピック種目から外れた。アフリカ野球界にとって大きな打撃だった。目標を失っただけではなく、オリンピック競技でなくなると国の予算も出なくなる。ただでさえマイナースポーツだった野球はますますマイナー化し、選手たちのモチベーションも下がってしまう。

拡大ガーナ甲子園プロジェクトが始まる同じ時期に持ち上がっていた球場建設計画。ケイケイと「甲子園球場」の候補地を視察。
 一生懸命に頑張ってきた選手たちに、新たなモチベーションを提供できないか――。思い浮かんだのが、日本の「甲子園大会」だった。

 大正時代に始まる甲子園大会は、100年を超える歴史を誇る日本野球の代名詞ともいえる存在だ。全国の都道府県大会予選を勝ち抜いたチームが地域の代表として日本一を目指す全国大会。1924年にこの大会のために建設された阪神甲子園球場は、まさにその象徴的な存在であり、そこで試合をすることを夢見て、球児たちは3年間努力をする。

 実際に甲子園に出場できるのは全国約4000の参加校のわずか1.2パーセント。強豪校と言われるごく一部の学校以外の野球部は、出場を目標とすること自体、現実的ではない。そうであったとしても、甲子園という大きな目標に向かって球児たちは日々精進し、汗を流す。その姿に日本人の多くが共感し、それがまた球児たちのモチベーションになる。

 これはアフリカでも使える。オリンピック種目でなくなった野球の振興のために、アフリカ各国に甲子園大会のような全国大会を創ってはどうか。そう考えたのだ。

 第一弾の国として、私が心血注いで育て、知人も多いガーナを選んだ。すでに野球連盟会長となっていたケイケイらガーナの野球関係者を集めて、「ガーナ甲子園プロジェクト」について協議をしたのは2011年3月だった。

 プロジェクトの柱は、①全国大会開催までのロードマップを作り、②まずはアクラと隣町のテマを中心に、小、中、高校に野球部を設立するよう学校に働きかけ、③コーチが巡回指導しながら多くの学校の指導を行う。④増える野球人口に対応するため、中古野球道具を日本で集めて送る。⑤本格的に整備された野球場の建設を計画する――の五つ。

拡大2013年4月に在ガーナ日本大使館のご協力により「ガーナ甲子園球場」が完成し、式典に参加した。
 なにより重要なポイントは、ガーナの野球関係者に日本の甲子園大会を理解してもらい、目指すべき目標として共有することだった。そこで、協議の場で、甲子園大会のドキュメンタリー映像を見てもらった。

 映像は大阪に事務所のある高校野連盟(高野連)からいただいたものだった。「ガーナ甲子園プロジェクト」の趣旨やプロジェクト名や球場名に「甲子園」を使いたい旨を説明に行った際、了承してもらうとともに、高校野球と甲子園大会を紹介する映像としていただいたのだ。ありがたいことに英語の字幕が入っている。

 厳しい練習や試合を通じて規律やチームワークを育むこと、負けることからも学ぶことがあることなどの54分の映像だったが、これがガーナ人の関係者にとても響いた。こうして「ガーナ甲子園プロジェクト」が始まった。

◇ガーナ甲子園プロジェクトの紹介映像

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筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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