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軍事力でなく憲法を、中村哲さんの言葉②

支援に軍隊はいらない。金さえあればの迷信から私は自由

「論座」編集部

 アフガニスタンで亡くなったNGO「ペシャワール会」の現地代表で医師の中村哲さん(73)の言葉を改めて読み直す2回目。アメリカ支持一辺倒の外交や憲法を軽視することの危うさを指摘する声は、現代の日本に重く響く。(いずれも朝日新聞記事より抜粋、日付は紙面掲載日)

平和には軍事力以上の力がある

2003年11月22日
 オピニオン面「私の視点」への寄稿

中村アメリカの空爆や国内の戦闘の影響で、大勢のアフガニスタン難民がパキスタン国境付近に逃げ込んだ=2001年11月26日、パキスタン・チャマン
 私たちPMS(ペシャワール会医療サービス)が用水路を建設中だった今月2日、発破作業を攻撃と誤認した米軍ヘリコプター2機が機銃掃射した。作業地の平和は一瞬にして吹き飛ばされた。当地の治安状況は私が滞在した20年間で最悪になっている。

 いま、ほとんどが農民であるアフガンの人々が切実に欲するのは、食糧と平和な村々の回復である。この4年、東部アフガンは未曽有(みぞう)の干ばつで耕地が砂漠化し、大量の難民が発生している。彼らが大都市に流れ、治安悪化の背景をなしていることは意外に知られていない。

 こうした事態に対応するため、私たちは井戸掘りに努め、これまでに1000本の井戸を造った。さらに、用水路も建設中だ。これは十数万人の帰農を促し、少なからず地域の復興と安定に寄与するはずだった。にもかかわらず、このところ現地では米軍のアルカイダ掃討作戦による誤爆が頻繁に起こり、住民の米軍への敵意が日増しに高まっている。

 イラクと同様、アフガンでも、米軍に対してだけではなく、国連組織や国際赤十字、外国のNGOへの襲撃事件が頻発している。地元民から襲撃を受け、すでに撤退した国際団体もある。

 「人道支援に赴いたのになぜ」といぶかる日本国民も多いと思う。

 現地が反発するのは、復興援助が軍事介入とセットになっているうえ、外国側のニーズ中心で民意とかけ離れたものになっているからだ。「タリバーン政権は問題もあったが、アメリカの介入はもっと嫌だ」というのがアフガン民衆の本音だろう。

 結局、暴力による干渉はろくな結果を生まなかった。人々が生きるための支援なら軍隊は必要ない。

 今回、私たちは「テロリスト」からではなく、「国際社会の正義」から襲撃された。日本政府がこの「正義」に同調し、「軍隊」を派遣するとなれば、アフガンでも日本への敵意が生まれ、私たちが攻撃の対象になりかねない。すでに私たちは車両から日章旗と「JAPAN」の文字を消し、政府とは無関係だと明言して活動せざるを得ない状況に至っている。

 平和には軍事力以上の力がある。国是である平和主義を非現実的だと軽んじ、米国の軍事力行使だけでなく、自衛隊の派遣すらも是認しようとする日本の風潮は危険かつ奇怪である。

「セロ弾きのゴーシュ」に重ねて

中村砂漠化した平野で用水路建設が始まった=2005年3月、アフガン東部、ペシャワール会提供

 中村さんは2004年に「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」が選ぶ「イーハトーブ賞」を受賞した。アフガニスタンから書面で寄せた感謝の言葉は「わが内なるゴーシュ 愚直さが踏みとどまらせた現地」と題され、ペシャワール会報(2004年10月13日)に掲載されている。

 その中で中村さんは、自身の活動の原動力を問われ〈返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。私の過去20年も同様でした〉と述べる。そして〈自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります〉〈賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません〉とつづっている。

 翌05年春、中村さんは岩手県花巻市を訪れ、語った。

2005年4月6日
 3月27日、花巻市での宮沢賢治セミナーで

 アフガニスタンの2千数百万人の国民の9割は農民や遊牧民で、カブール政権や選挙がどうなった、ということとは無縁の所で生きています。

 貧富の差も激しく、数十円のお金が無くて死ぬ人がいる一方、ちょっとした病気でロンドンの病院まで行く人もいます。

 アフガニスタンは2000年に大干ばつに襲われ、1200万人が被災、100万人が餓死の危機にさらされました。文字通り村が次々と消え、飢餓による栄養失調と病気で、多くの子どもたちが死んでいきました。水さえあれば、畑に緑が戻り、住民も戻ってきます。そこで00年から1300本の井戸を掘りました。30万人の住民が村を捨てずに済みました。

 2年前から、潅漑用水の水路造りも始めました。石で護岸をして、生きた土嚢(どのう)として柳の木を植えます。

 ペシャワール会では現地で1000人以上が働いています。活動費の3億円はすべて会費と寄付で賄われています。

 厳しい環境で暮らす現地の人たちは、明日の命の保証がないのに、わりと明るいんです。特に子どもは日本より明るい。

 与えられた状況の中で力を尽くすうちに、見えてくるものがあります。私自身も、縁(えにし)で離れられなくなり、20年続きました。金さえあれば何とかなるという迷信から、私は自由なのです。

日米同盟一辺倒で、作らなくてもいい敵を作ってはいないか

中村哲中村哲さん=ペシャワール会提供

2005年9月9日
 小泉首相が仕掛けた「郵政選挙」について問われたインタビューで

 難民を対象とした医療活動のほか、農民とともに潅漑のための用水路や水門を建設して、砂漠化した農地の再建を目指している。人口の9割が農民というアフガニスタンにとって、最も重要なのが農業の再建だ。現地での作業は、多いときには900人ぐらいの住民を土木作業員として、1日240円の日当で雇っているが、こうしたわずかな金額でも、仕事があれば彼らは食べていくことができるし、難民になったり軍閥の傭兵(ようへい)になったりせずに暮らしていける。平和に暮らすためには、まずは「生きる」ことを保証しなくてはならない。

 こんなアフガンから日本に戻ると、平和で豊かな生活が行き渡っているように見える。それなのに「日本の社会は行き詰まっている」「いつ危機に陥っても不思議ではない」といった言論が大手を振っている。選挙では「改革」をするのか、それともこのまま放置して「危機」に陥ってもいいのか、それを決断せよ、と。

 私は米国によるアフガン空爆(2001年)以来、それに協力した日本は異常な方向に進んでいるのではないかと思っている。国際情勢というのは複雑で予測もつかない。いつ、どんな状況の変化で思わぬ事態に巻き込まれるのか。だからこそ、単純に日米同盟一辺倒でいいのか、そのことで我々は作らなくてもいい敵を作っているのではないのか、といったことも考えなければいけない。

 日本政府はアフガンやイラクなどに様々な支援を行っているのに、現地での対日感情は悪化している。米国への嫌悪がそのまま日本に向けられているようにすら感じる。

 一方、国内では小泉首相の選挙戦略もあるのだろうが、郵政民営化にばかり焦点が当てられている。民営化さえ果たせばすべてバラ色というのは単純化しすぎた考えだと思う。

 さらにいえば、国の行く末を本当に占う意味では「憲法」について考えなければいけないのに、それが語られることはあまりない。選挙後、憲法「9条」はいったいどうなってしまうのか。戦争をゲームとしか考えていないような発言をしている政治家もいる。でも、軍事力で平和は達成できない。戦争で大きな被害を受けるのは子供や女性、老人などの弱者だ。自分たちの安全や安心を求めることは当然だが、人に危害を加えないためにはどうすべきかも考える必要があるのではないだろうか。

「殺さない」ということの一つの結実が憲法9条

中村哲哲学者の鶴見俊輔さん(左)と対談する中村哲さん=2006年11月、京都市左京区

2006年11月28日
 オピニオン面での哲学者、評論家の鶴見俊輔さんとの対談で

 日本のような近代国家からは、イランやアフガン、パキスタンといった国があるように見えるが、これらはいわば疑似国家だ。民衆の間に国境はなく、ひと続きにつながって動いている。アフガンから隣のパキスタンに逃れた難民は現在300万人。日本がこれだけの難民を受け入れられるだろうか。国境を超えた相互扶助や暗黙の合意がある。

 アフガン人が敵味方に分かれて戦うときも、わざと的をはずして撃ち合うことがあると聞く。庶民のレベルでは、同じ釜の飯を食うアフガン人だという意識が強い。

 アフガン人は、アジア人という言葉を好んで使う。自分たち自身のやり方で生きてきたという誇りが根をおろしている。日本人もそうじゃないかという期待がアフガン人にはあるが、その期待を裏切るときは近いのではないか。寂しいことだ。

 アフガニスタンで私たちが主にしているのは医療活動、2000年の大干ばつを機に始めた井戸掘り・農業用水路の建設、乾燥に強い作物の研究・普及だ。全長13キロの用水路は11キロが完成した。職員、作業員は合わせて1000人弱。日本人は常時約20人いて、20代が多い。「青い鳥」を求めてくる子、日本の社会になじめない子などいろいろだが、志を立ててくる人は挫折することがまれではない。興味本位で来た子が、用水路が完成して砂漠が緑になり、何千人、何万人が助かるのを見て、うれしい、この仕事をしてよかったと素直に言う。

 農業、土木作業はかつての日本人なら誰でもできたが、若い子はシャベルを持つのも初めてで、穴掘りから練習しなさいと言って現場で鍛える。アフガン人は、ほとんどが農民で、子どもも小さいときから大人と一緒に農作業をしているから、共有の文化として身に付いている。

 用水路づくりの参考にしたのが日本の伝統的な農業土木技術だ。アフガンで使えるものを求め、日本の中世から江戸時代にかけての水利施設を見て歩いた。郷土史を調べると、その素晴らしさはたたえていても、どうやってつくったかはあまり書いていない。当時はわざわざ記載する必要がないくらい、だれもが身につけた当たり前の技術があったのだろう。

鶴見 大切なのはマニュアルではなく、自分の身についた行為である「しぐさ」「作法」を共有し、伝承することだ。大岡昇平の小説「俘虜記」の主人公の日本軍兵士は米兵を見たが、撃たないと決めた。兵士の作法としては間違いだが、人間の作法に戻っている。「人を殺さない」というしぐさはずっと続く。そこに戻らないと今の状況は抜けられない。

 「殺さない」ということの一つの結実が憲法9条だ。9条を壊すことは日本の良心を壊すことになる。戦争を次々にしないと成り立たないような、自然を相手に汗水たらして働く人が損をするような社会は長続きしない。いつか崩れるだろう。

 ただ、現地でたくましくなっていく日本の若者をみていると、再生能力は引き継がれていくと思う。お天道様に恥じず、まっとうに生きていれば破局を怖がることはない。平和とは、繁栄や安全を生み出す積極的な力である。私たちはもっと自信を持つべきだ。(次回に続きます)