支援に軍隊はいらない。金さえあればの迷信から私は自由
中村さんは2004年に「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」が選ぶ「イーハトーブ賞」を受賞した。アフガニスタンから書面で寄せた感謝の言葉は「わが内なるゴーシュ 愚直さが踏みとどまらせた現地」と題され、ペシャワール会報(2004年10月13日)に掲載されている。
その中で中村さんは、自身の活動の原動力を問われ〈返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。私の過去20年も同様でした〉と述べる。そして〈自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります〉〈賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません〉とつづっている。
翌05年春、中村さんは岩手県花巻市を訪れ、語った。
2005年4月6日
3月27日、花巻市での宮沢賢治セミナーで
アフガニスタンの2千数百万人の国民の9割は農民や遊牧民で、カブール政権や選挙がどうなった、ということとは無縁の所で生きています。
貧富の差も激しく、数十円のお金が無くて死ぬ人がいる一方、ちょっとした病気でロンドンの病院まで行く人もいます。
アフガニスタンは2000年に大干ばつに襲われ、1200万人が被災、100万人が餓死の危機にさらされました。文字通り村が次々と消え、飢餓による栄養失調と病気で、多くの子どもたちが死んでいきました。水さえあれば、畑に緑が戻り、住民も戻ってきます。そこで00年から1300本の井戸を掘りました。30万人の住民が村を捨てずに済みました。
2年前から、潅漑用水の水路造りも始めました。石で護岸をして、生きた土嚢(どのう)として柳の木を植えます。
ペシャワール会では現地で1000人以上が働いています。活動費の3億円はすべて会費と寄付で賄われています。
厳しい環境で暮らす現地の人たちは、明日の命の保証がないのに、わりと明るいんです。特に子どもは日本より明るい。
与えられた状況の中で力を尽くすうちに、見えてくるものがあります。私自身も、縁(えにし)で離れられなくなり、20年続きました。金さえあれば何とかなるという迷信から、私は自由なのです。
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