支援に軍隊はいらない。金さえあればの迷信から私は自由
2005年9月9日
小泉首相が仕掛けた「郵政選挙」について問われたインタビューで
難民を対象とした医療活動のほか、農民とともに潅漑のための用水路や水門を建設して、砂漠化した農地の再建を目指している。人口の9割が農民というアフガニスタンにとって、最も重要なのが農業の再建だ。現地での作業は、多いときには900人ぐらいの住民を土木作業員として、1日240円の日当で雇っているが、こうしたわずかな金額でも、仕事があれば彼らは食べていくことができるし、難民になったり軍閥の傭兵(ようへい)になったりせずに暮らしていける。平和に暮らすためには、まずは「生きる」ことを保証しなくてはならない。
こんなアフガンから日本に戻ると、平和で豊かな生活が行き渡っているように見える。それなのに「日本の社会は行き詰まっている」「いつ危機に陥っても不思議ではない」といった言論が大手を振っている。選挙では「改革」をするのか、それともこのまま放置して「危機」に陥ってもいいのか、それを決断せよ、と。
私は米国によるアフガン空爆(2001年)以来、それに協力した日本は異常な方向に進んでいるのではないかと思っている。国際情勢というのは複雑で予測もつかない。いつ、どんな状況の変化で思わぬ事態に巻き込まれるのか。だからこそ、単純に日米同盟一辺倒でいいのか、そのことで我々は作らなくてもいい敵を作っているのではないのか、といったことも考えなければいけない。
日本政府はアフガンやイラクなどに様々な支援を行っているのに、現地での対日感情は悪化している。米国への嫌悪がそのまま日本に向けられているようにすら感じる。
一方、国内では小泉首相の選挙戦略もあるのだろうが、郵政民営化にばかり焦点が当てられている。民営化さえ果たせばすべてバラ色というのは単純化しすぎた考えだと思う。
さらにいえば、国の行く末を本当に占う意味では「憲法」について考えなければいけないのに、それが語られることはあまりない。選挙後、憲法「9条」はいったいどうなってしまうのか。戦争をゲームとしか考えていないような発言をしている政治家もいる。でも、軍事力で平和は達成できない。戦争で大きな被害を受けるのは子供や女性、老人などの弱者だ。自分たちの安全や安心を求めることは当然だが、人に危害を加えないためにはどうすべきかも考える必要があるのではないだろうか。