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軍事力でなく憲法を、中村哲さんの言葉②

支援に軍隊はいらない。金さえあればの迷信から私は自由

「論座」編集部

「殺さない」ということの一つの結実が憲法9条

中村哲拡大哲学者の鶴見俊輔さん(左)と対談する中村哲さん=2006年11月、京都市左京区

2006年11月28日
 オピニオン面での哲学者、評論家の鶴見俊輔さんとの対談で

 日本のような近代国家からは、イランやアフガン、パキスタンといった国があるように見えるが、これらはいわば疑似国家だ。民衆の間に国境はなく、ひと続きにつながって動いている。アフガンから隣のパキスタンに逃れた難民は現在300万人。日本がこれだけの難民を受け入れられるだろうか。国境を超えた相互扶助や暗黙の合意がある。

 アフガン人が敵味方に分かれて戦うときも、わざと的をはずして撃ち合うことがあると聞く。庶民のレベルでは、同じ釜の飯を食うアフガン人だという意識が強い。

 アフガン人は、アジア人という言葉を好んで使う。自分たち自身のやり方で生きてきたという誇りが根をおろしている。日本人もそうじゃないかという期待がアフガン人にはあるが、その期待を裏切るときは近いのではないか。寂しいことだ。

 アフガニスタンで私たちが主にしているのは医療活動、2000年の大干ばつを機に始めた井戸掘り・農業用水路の建設、乾燥に強い作物の研究・普及だ。全長13キロの用水路は11キロが完成した。職員、作業員は合わせて1000人弱。日本人は常時約20人いて、20代が多い。「青い鳥」を求めてくる子、日本の社会になじめない子などいろいろだが、志を立ててくる人は挫折することがまれではない。興味本位で来た子が、用水路が完成して砂漠が緑になり、何千人、何万人が助かるのを見て、うれしい、この仕事をしてよかったと素直に言う。

 農業、土木作業はかつての日本人なら誰でもできたが、若い子はシャベルを持つのも初めてで、穴掘りから練習しなさいと言って現場で鍛える。アフガン人は、ほとんどが農民で、子どもも小さいときから大人と一緒に農作業をしているから、共有の文化として身に付いている。

 用水路づくりの参考にしたのが日本の伝統的な農業土木技術だ。アフガンで使えるものを求め、日本の中世から江戸時代にかけての水利施設を見て歩いた。郷土史を調べると、その素晴らしさはたたえていても、どうやってつくったかはあまり書いていない。当時はわざわざ記載する必要がないくらい、だれもが身につけた当たり前の技術があったのだろう。

鶴見 大切なのはマニュアルではなく、自分の身についた行為である「しぐさ」「作法」を共有し、伝承することだ。大岡昇平の小説「俘虜記」の主人公の日本軍兵士は米兵を見たが、撃たないと決めた。兵士の作法としては間違いだが、人間の作法に戻っている。「人を殺さない」というしぐさはずっと続く。そこに戻らないと今の状況は抜けられない。

 「殺さない」ということの一つの結実が憲法9条だ。9条を壊すことは日本の良心を壊すことになる。戦争を次々にしないと成り立たないような、自然を相手に汗水たらして働く人が損をするような社会は長続きしない。いつか崩れるだろう。

 ただ、現地でたくましくなっていく日本の若者をみていると、再生能力は引き継がれていくと思う。お天道様に恥じず、まっとうに生きていれば破局を怖がることはない。平和とは、繁栄や安全を生み出す積極的な力である。私たちはもっと自信を持つべきだ。(次回に続きます)

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