市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員
1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
田中宏さんと考える(2)「国籍条項」とは何だ?
一橋大学名誉教授・田中宏さん(82)が差別の是正を求めて運動をしてきた在日韓国・朝鮮人には、あえて分ければ二つのタイプがある。
一つは、植民地支配下の朝鮮で「日本人」「日本兵」として戦った人たちが、日本人が戦後受けた手厚い補償を受けられない「不公平」の問題。
もう一つは、2世以下を含む在日コリアンとして定住・永住権を認められた人たちが、外国人登録に指紋の押捺を強いられたり「当然の法理」という理由で公務員になれなかったりしてきた制度的な差別問題だ。
例えば、シベリア抑留の被害者の問題。敗戦直後、旧ソ連は日本軍捕虜ら57万人をシベリアに抑留し、強制労働させた。日本では1988年に特別立法ができ、10万円の慰労金を被害者に支給した。しかし、「日本人に限る」として、一緒に戦争に駆り出された朝鮮人、台湾人を除外した。
田中「一橋大のゼミ生が、留学先の中国・延辺で朝鮮族の元抑留者に出会ったのです。私も1996年に延辺でお会いしました。その呉雄根さんという方は、やはり抑留された日本人の戦友から『あんたはもらえないようだから、俺がもらった半分を送る』と5万円を送ってくれたというのです。生死を共にした仲間だから、その日本人は自然な考えだったかもしれない。でも、よく考えると、朝鮮人がもらえないこと自体がおかしいと、なぜならなかったのか。日本人全体として、なぜそういう感覚がないのだろうということです。なぜ戦後になって、国籍で排除するのが当然になり、疑問すら持たなくなったのだろうということです。
シベリア抑留問題はその後も、民主党政権の2010年にシベリア特措法ができて、帰還時期に応じて25万~150万円が支給されたが、それにも国籍条項が残った。『どうして国籍条項をだれも問題にしなかったのか? おかしいじゃないか』と議員にただしたが、議員立法で与野党が合意しているから…で終わりでした」
田中さんは1988年に、神奈川県の石成基(ソク・ソンギ)さんという元軍属に出会う。石さんはマーシャル諸島で米軍との戦闘に巻き込まれて利き手の右腕を失った。同じ怪我を負った日本人なら、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定された1952年から試算した1994年までで累計6千万円超の戦傷病年金を受けていた。それが1円も支給されない。