メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

新国立競技場は「スポーツの殿堂」になれるのか?

ハディド氏の設計案を巡る混乱、目標のない周辺開発…。問題はまだ解決していない

鈴村裕輔 名城大学外国語学部准教授

新国立競技場の観客席を覆う大屋根。木材と鉄骨が使われている=2019年12月15日

 地下鉄銀座線外苑前駅の3番出口を出て青山一丁目方面に歩くと、街路灯に付けられた旗が目に入る。今年11月には天皇即位の祝賀行列を記念して、「奉祝」と書かれた旗が並んでいた。そこにいまあるのは、 “HELLO, OUR STADIUM” と記された新国立競技場完成を祝う旗だ。

 同じ3番出口から外苑前交差点を背にしてスタジアム通りを歩くと、緩やかに左に曲がる道路の合間から新国立競技場が見える。かつて、日本青年館のレンガ色の建物の背後に青空が広がる様子は、右手前に見える明治神宮球場や秩父宮ラグビー場と相俟って、開放的な雰囲気を生み出していた。

失われた視覚的、空間的な広がり

 ところが今、われわれの目の前にあるのは、地上5階建て、高さ47メートルの新国立競技場であり、かつてのような視覚的、空間的な広がりは明らかに失われている。

 「スポーツの殿堂」と讃えられた旧国立競技場が、周辺の景観の保護を目的に高さを制限され、それゆえに周りの環境と調和した佇まいを見せていたのに比べて、新国立競技場は付近の人の流れや風景の連なりを断絶するかのようである。

 2020年東京オリンピック・パラリンピックのために、異例の早さで建設された新国立競技場は今後、どのような歩みをたどるのだろうか。今度もまた、「スポーツの殿堂」の名声を得ることはできるだろうか。スポーツを愛する者として、あらためて考えてみた。

「新国立競技場問題」は人びとの関心外?

 12月15日(日)に竣工式を終えた新国立競技場は、12月21日(土)のオープニングイベントで、いよいよその全貌を人びとの前に現す。

 ザハ・ハディド氏の設計案を巡る混乱。巨額の工事費への批判とザハ案の白紙撤回。梓設計、隈研吾建築都市設計事務所による共同企業体(JV)による新デザイン。建造物の規模からすると驚くほど短期間での施工など、新国立競技場は計画から完成まで、混乱と曲折の連続だった。

 だが、こうしてひとたび完成してしまった後では、あれほど話題を集めた建設にまつわる問題も、あたかも何もなかったかのごとく、人々の関心の対象ではなくなっているようにみえる。

 いかに優れた事業でも、様々な問題が生じるものだ。問題なしにことが進むほうが例外的であろう。新国立競技場も例外でないのかもしれない。しかし、もし新国立競技場に関する一連の騒動、すなわち「新国立競技場問題」が特殊なものではなく、他の事業にも通底するものだとすれば、どうだろうか。われわれは同様の事態を未然に防ぐ重要な機会を、失うことになりかねない。

ザハ・ハディドの新国立競技場の当初案 。これより規模は縮小されることになったが……

「負の記憶」をぬぐいさりたい関係者

 新国立競技場の竣工式の様子は、新聞やテレビ、インターネットで報じられた。報道の内容にはある共通点が見られた。それは、設計案に関する問題が必ずしも言及されていないという点である。

 たとえば、竣工式を詳報した主要全国紙3紙のうち、ハディド氏の名前を挙げて建設問題を取り上げたのは日本経済新聞のみだった。朝日新聞は「デザインの白紙撤回」と記すだけであり、読売新聞は問題にさえ触れていない。毎日新聞は主要全国紙4紙の中で唯一、竣工式を詳報せず、安倍晋三首相の動静を伝える「首相日々」の欄で取り上げただけだ。

 このような違いは各紙の編集方針に基づくものだ。竣工式という新国立競技場の完成を祝う記事のなかで、過去の不幸な出来事である設計案の問題を取り上げることを控えたとしても、不思議ではない(あるいは、「ハディド問題」は話題性に乏しいと判断されたのかも知れない)。

 それでも、「ハディド問題」は新国立競技場の来歴を考えるうえで、避けて通れないと私は思う。「ハディド問題」があったからこそ、現在の形が生まれたのであるから、「オリパラ」後の国立競技場の活用方法を検討するためにも、過去の経緯を知ることは一定の意義を持つ。

 ただ、今回の竣工式の報道を見て懸念するのは、オリンピックが近づくにつれ、新国立競技場からザハ・ハディド氏の名前は消し去られるのではないかといことだ。今回の主要全国紙4紙の対応は、各社の相違を際立たせた一方、新国立競技場から「負の記憶」をぬぐいさりたいという関係者の意向が反映しているように思えてならない。

 外苑前スタジアム通りから見えるもの

 ここで再び、外苑前スタジアム通りに戻ろう。

 現在、通りの両側では建物の取り壊しや新築が飛び石のように行われている。1カ月もスタジアム通りを歩かなければ、かつてあったはずの建物が工事中となっている、という具合である。

 「神宮の森」の愛称で親しまれている明治神宮外苑地区は、景観保護のために風致地区や文教地区として建築規制などが敷かれてきた。

 その結果、青山通りから聖徳記念絵画館の間にフットサルコートや軟式野球場が設けられ、さらに左右に明治神宮いちょう並木へと続く、連続性のある風景が維持されている。

 そして、隣接する赤坂御用地を含め、外苑地区は都内でも屈指の景観地区となっていること、若葉の茂る春先やいちょう並木が黄金色になる11月末から12月中旬は、外国人観光客を含む多くの来訪者の憩いの場となっていることも、周知の通りだ。

 ところが、国立競技場の建設に伴い再開発等促進区に指定されたことで、神宮外苑地区では種々の整備計画が進められている。

 今年11月に開業した13階建ての大型ホテルなどは、再開発等促進区の「目玉事業」の一つでもある。たしかに国立競技場の北側に位置するJR中央線・総武線千駄ヶ谷駅沿いの神宮プール跡地という立地は、駅からも至近であり、利用者にとって使い勝手のいい施設とは言える。

 また、昨年8月に移設・開業した日本青年館、今年5月に完成したJAPAN SPORT OLYMPiC SQUARE、来年4月に竣工予定の外苑ハウスなど、高さ70メートルを超える高層建築物が次々と誕生している。現在、神宮外苑地区は再開発のただなかにあるのだ。

 明確な目標を欠く「神宮外苑再開発」

神宮球場(右)と秩父宮ラグビー場=本社ヘリから

 国立競技場の建設に伴い敷地を提供した日本青年館はやむを得ないとしても、日本スポーツ協会と日本オリンピック委員会が新築したJAPAN SPORT OLYMPiC SQUAREや、都営霞ケ丘アパートの閉鎖後に隣接地の区画整理事業を受けて建てられている民間の外苑ハウスなどは、不要不急の施設だ。

・・・ログインして読む
(残り:約1681文字/本文:約4426文字)