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新官僚論 「テクノフォビア」を脱却せよ

官僚にはいつも「悪の凡庸さ」がつきまとっている

塩原俊彦 高知大学准教授

「悪の凡庸さ」

 政治学者ハンナ・アーレントは、アルゼンチンに逃亡中、イスラエルの諜報機関によって逮捕された後、人道(人類)への罪などで有罪となり1962年に絞首刑となったアドルフ・アイヒマンの悪を「悪の凡庸さ」(banality of evil)と呼んだ。

 アイヒマンは親衛隊の情報部ユダヤ人担当課に属していた「官僚」であり、ドイツの法に従ってユダヤ人の収容所送りという「命令」を執行しただけであったと主張した。いわば、事務処理をこなす官僚が数百万人を死に至らしめたことになる。だからこそ、アーレントは「官僚の悪」をこう名づけたのだ。

拡大法廷に立つアイヒマン

 法を遵守するだけでその執行を思考停止状態で行う官僚がいまでもあちこちにいる。とくに、日本の官僚のほとんどすべてがこの範疇に入るかもしれない。これが可能なのは、「標準化」のおかげだ。

 官僚による命令が局所的に可能となるのは、その命令を執行する末端まで、「標準化」による基準が有無を言わせぬ執行を可能にするからである。これは、何も考えないでただ執行するというかたちで官僚が権力を行使することを可能にし、同時に、その権力行使を受ける側もその標準化を受けいれることで、何も考える必要がなくなる。

 つまり、命令する側とその命令に服従する側との間に「無思想性」という相互関係が成立するのである。だから、官僚にはいつも「悪の凡庸さ」がつきまとっている。

 ここでカール・マルクスが「産業プロレタリア―ト」と呼んだのが官僚主義のなかでモデル化された人々であったことを思い出そう。マルクスが理論化したのは、個別の生産者が水平的に結びついた生産段階から、資本によって垂直的に運営されるようになった工場における生産であり、この移転は民間企業の官僚主義化という現象であったのだ。その意味で、日本の大企業は官僚化しており、それがいまの日本のIT産業凋落の

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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