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GSOMIAへの姿勢から見える日韓対立の根源

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

最悪な状況が収まらない日韓関係

 11月22日、韓国政府は日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄延期を発表した。それに対して、日本では安倍首相が「日本は何も譲っていない。アメリカが非常に強くて韓国が降りたという話」と周囲に語ったとされたが、韓国側からはあくまで条件付きの破棄延期であり、「輸出規制撤回がなければGSOMIAは終了する」として日本側の報道に不快感を示した。

 今回の動きについては、関係改善が進んだというよりも、北朝鮮から非核化という回答が得られず、再び緊迫感を増しつつある東アジアにおいて、GSOMIAを重視するアメリカの強い意向を同盟国である韓国が受け入れたに過ぎなかった。

 そうした状況下で、本来は歯止めになるはずのヒトの交流も、訪日韓国人数が7月から4カ月連続で下降を続けた。特に、ラグビー・ワールドカップの際には各国から観戦に訪れる人が増加したものの、来日観光客全体としては韓国人旅行客の減少のため前年同時期より低下する結果が見られた。本来であれば、韓国人の具智元選手が日本代表として活躍する姿を日韓両国が友好的なムードの中で喝采を送り合うことが期待される状況があったことを思うと、日韓の相互理解や関係改善を目指して発言をしてきた者の一人としては、暗澹たる気持ちにさせられる。

田中利明市長(左)から市長賞詞を贈呈された具智元選手=2019年11月14日午後3時2分、佐伯市役所20191114ラグビー・ワールドカップ日本代表で韓国出身の具智元選手(右)。大会後、地元高校を卒業した大分県佐伯市の田中利明市長(左)から市長賞詞を贈呈された。政府間対立とは別に日韓交流は続く=2019年11月14日

 ただ、連載でこれまで述べてきたように、この状況は2018年秋の徴用工判決が契機となり、7月以降の輸出規制によって大きくこじれてしまった構造によることは明らかである。そのため、「何が対立を激化させたのか」「今後、日韓両国はどのように進んでいくべきか」といった問いかけに対しては比較的答えやすくもある。そこで、前回までの事実関係の分析を基盤としつつ、史上最悪と呼ばれる日韓関係の本質を2回に分けて検証する。

日韓請求権協定への姿勢の相違

 2018年10月に韓国大法院にて徴用工判決が下され、年が明けた2019年1月9日、日本の外務省は対話による解決を目指し、韓国政府への働きかけを開始した。しかし、日本政府全体として見ると、安倍首相は同判決に対し「国際法に照らしてあり得ない判断」と批判し、河野外務大臣(当時)は「日韓間の法的基盤が根本から損なわれた」と発言していたように、韓国側の姿勢を強硬にさせる態度をも同時に見せていた。

 一方で、韓国政府は三権分立の意識から大法院判決に対しての介入を避けつつ、日本との距離を測りかねていた。その理由としては、前掲のような閣僚の発言や経済制裁(輸出規制)を行うとの情報がありながら、文政権自体に日本とのパイプが少ないこともあって、日本で高まる韓国政府への不満の増大を捉えかねていたことが大きい。この時点で、韓国側が何らかの案を提示する、あるいは協議に応じる姿勢を示せば、事態が変わっていた可能性はある。この点は韓国の失策であった。

 そして、1965年に締結した「日韓請求権協定」(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)3条1項では、同協定の解釈及び実施について紛争が発生した場合は「まず、外交上の経路を通じて解決する」と記載されており、それが叶わない場合、同条2項により、紛争の仲裁を要請する公文を他方の政府が受領した日から30日以内に仲裁委員を任命し、締約国に代わって仲裁委員を指名する第三国を選定し、仲裁委員会を設置するとされていた。

 そこで、日本政府は5月20日、仲裁付託を韓国政府へ通告した。しかし、韓国側が外交による解決および仲裁委員会設置に対する提起にアクションを起こさなかったため、それに業を煮やした日本政府と制裁的な対応を求める勢力との意図が合致し、安倍政権は強硬な措置を進めていったのである。

 すると、ようやく韓国政府も重い腰をあげ、かつて在日韓国大使館で2等書記官、経済課長、公使参事官として従事し、外交部でも東北アジア通商課長や東北アジア局長を務め日本での言論活動も行っていた趙世暎(チョ・セヨン)を第1外務次官に就任させた。

 その後、韓国は趙外務次官を窓口として、前掲の期限内の6月19日に徴用工問題への対案として「両国の企業が自発的な拠出金で財源を作り、被害者に慰謝料を支払う」との方針を示し、改めて日韓請求権協定の3条1項に定める外交協議に応じるとの立場を示した。日韓請求権協定が2国間で設定されたものであることを考えれば、同3条1項の「外交的解決を第一とする」との基本方針に基づき、日本が条文を柔軟に捉えることは可能であった。

 しかし、日本政府は既に仲裁委員会の設置を申し出ていたこと、および韓国の提案内容が受け入れられないことをもって、外交的解決を望む韓国の提案を拒否した。この時点で韓国は対話路線への舵を切ったものの、その後の状況を見るに、日本政府は既に対話路線を放棄しており、輸出規制による圧力強化によって日本政府の求める「1965年の日韓請求権協定にて問題は解決済み」との方針を韓国にのませる方向へ進んでいたと考えられる。

 実際に、6月末に大阪で行われたG20(主要20カ国・地域首脳会議)に合わせて、韓国側は日韓の首脳会談を要請した。しかし、文大統領が来日した27日午後に安倍首相はタレントとの面談は行いつつも、

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