経済力は大陸に遠く及ばなくなったが、大陸にない民主社会は発展を続ける
2019年12月31日
大小さまざまな選挙集会が各地で開かれ、あちこちに選挙ポスターやのぼりが並ぶ。テレビでは選挙番組が延々と続く。台湾は選挙一色に染められているように見えるが、この四半世紀、台湾の選挙を追いかけてきた私には、民進、国民の両党が文字通り衝突し、「台湾燃える」といわれたような選挙フィーバーぶりは伝わってこない。それは、選挙を重ねることで、主張の違いを静かに尊重するようになったという、台湾社会の民主的な成熟の証しといえよう。
ただ、選挙戦が穏やかなまま終わるとは限らない。台湾統一を悲願とする中国共産党が選挙に今回も「参戦」し、選挙戦の波乱要因になりかねないからだ。
12月21日、南部の高雄で蔡氏と韓氏を応援する集会と行進があった。主催者側の発表だと、それぞれに50万人と35万人が参加した。私はドローンによる空撮を駆使したライブ中継をネットで見た。実際の参加者は定かではないが、高雄の歴史で最大のイベントには違いないようだ。
民進党のシンボルカラーである緑の長大な幕を掲げた行列がひときわ目立つ。中継によれば、長さは210メートルという。「光復高雄」(高雄を取り戻そう)と書かれている。「光復香港」のまねだ。昨年の高雄市長選で国民党の韓氏に敗れた民進党は、韓氏を「嘘が多い」「金満だ」などと批判、高雄を取り戻そうとリコールを呼びかけている。
一方の国民党は真っ赤に染まっている。参加者のおそろいのシャツの色がその色だからだ。かつて中国大陸を統治した国民党の正式名称は、いまでも「中国国民党」であり、「中華民国」という名前を大切にする。赤は民国国旗「晴天白日満地紅旗」の「紅」だ。
大集会が開かれた高雄は「台湾民主の聖地」と呼ばれる。40年前の1979年12月10日、戒厳令を敷いていた国民党独裁政権と戦う人々がこの地で集会を開き、政治の民主化や言論の自由を訴えた。警察は催涙弾を撃って参加者らを逮捕、軍事法廷にかけた。集会を開いた中心人物が「美麗島雑誌」を発行していたので「美麗島事件」と呼ぼれるようになった。
民主化運動を弾圧した国民党政権は、後ろ盾の米国などから大きな批判を浴び、戒厳令は1987年に解除され、民進党が正式に発足することになった。事件での逮捕者や弁護人はのちに民進党の主要メンバーとなる。総統になった陳水扁、副総統になった呂秀蓮、首相にあたる行政院長の蘇貞昌、駐日代表の謝長廷、総統府秘書長の陳菊の各氏らだ。
台湾各地で民主化を求めて血を流す人は後を絶たなかったが、美麗島事件での弾圧はとりわけ苛烈を極め、高雄は特別の地となった。だから、選挙になると高雄では、民進党と国民党の支持者が鋭く対立し、小競り合いだけでなく、車の衝突合戦や暴力沙汰も起きてきた。
私は選挙取材のたびに高雄を訪れたが、支持政党の異なるタクシーの運転手たちが無線で連絡しあって集合し、乱闘を繰り広げるのを何度も見た。私が日本人と分かっていても、「どっちを応援している」と聞いてくる市民がいた。
今回も、事件事故を危惧する声は少なくなく、蔡総統は参加者に理性を求め、警察は警戒を強めていた。しかし、衝突は起きなかった。各党はそろって台湾民主の成熟ぶりを讃えた。
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