藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
冷戦末期の中曽根訪ソをめぐる外務省の危惧、そしてその後
先日に101歳で亡くなった元首相の中曽根康弘氏は、1987年に首相の座を離れてもなお、ソ連と「首脳外交」を展開しようとしていた。その動きをパリでつかんで東京の外務省に伝えた日本の外交官が、後に外務事務次官・国連大使を経て、国際司法裁判所の所長を務めた小和田恒氏(87)だった。
核大国の米国とソ連がにらみ合った冷戦末期の1980年代末、ソ連の後継ロシアとの間で今も続く北方領土交渉をめぐる日本の「政と官」のせめぎ合いを、30数年前の「小和田メモ」から探る。
「極秘」の判が押された小和田メモは、2019年12月の外交文書公開で対象になったファイルの中にあった。外交文書公開は、外務省が戦後に作って30年以上になるファイルから選んで出すもので、最近は年末恒例になっている。
公開ファイルは30年前のものが「最新」ということになり、今回は1988年までが公開された。時代で言えば、国内では昭和が、世界では冷戦がそれぞれ終わる89年の一歩手前だ。
ソ連では、停滞する社会主義経済を立て直そうと、新指導者ゴルバチョフ書記長が改革「ペレストロイカ」を進めていた。日本では1987年に中曽根氏が長期政権を退き、竹下登氏が首相に就任。日ソ関係は停滞が続いていた。
米国と核軍縮などで対話を進めるソ連は、アジアには顔を向けるのか。国内で改革への抵抗が続くゴルバチョフ政権は、果たして安定するのか。手探りで対ソ外交にあたる当時の外務省は、前首相としてなお存在感を示す中曽根氏の訪ソ情報に揺らいだ。
公開ファイルに綴じられた一連の文書をめくった。それによると、この中曽根独自訪ソに関する外務省への一報が「小和田メモ」だったようだ。その後の日付の記録には、外務官僚らが訪ソ前の中曽根氏とやり取りを重ねる様がつづられる。対ソ外交への影響、とりわけ終戦時にソ連が実効支配し、日本が返還を求め続ける北方領土問題への悪影響を危ぶんでいる。
1988年6月16日、パリに本部のある経済協力開発機構(OECD)に大使として赴任していた小和田氏は、盗聴を防ぐ機能がある「FAX電話」を使い、「全く参考までに」として、中曽根訪ソの動きを後輩の外務省幹部に伝えていた。その内容をソ連課で手書きしたのが「小和田メモ」だった。
以下、文書を詳しく見ていく。