対立の影で失った韓国への客観的な視角
2019年12月27日
確かに、日韓両政府の対立はこれまでも数多く存在してきた。しかし、今回の日韓の対立で最も深刻なのは、それが市民やメディアの議論にまで大きく影響を与え、社会の中で相手国に対しての捉え方が変わったことにある。
ここで、輸出規制が実施された後に起きた3つの事例を挙げて、その傾向を見ていく。
第一に挙げられるのは、「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が約2カ月間、閉鎖された件である。8月に始まった同展においては、従軍慰安婦の女性を模した「平和の少女像」に対してテロを想起させる批判が多く寄せられたこともあり、安全を考慮して展示全体の中止が発表された。その背景には有力政治家による発言が後押しした部分もあったものの、歴史問題に対するメディアや市民の反発が理性的な反論を抑え込んだ面が強い。結果的に、かつての少女たちが戦中戦後に何を思ったのかを伝えたいという作り手の思いはかき消されてしまった。
この事件が報じられた際、私は1995年の出来事を思い出した。アメリカの国立スミソニアン博物館で米国内初の原爆展が企画されたものの、議会や在郷軍人会等からの圧力で同企画が中止に追い込まれ、未だ国内において「原爆投下は多くのアメリカ人の命を救った行為」とする見方が一般性を有している件である。
自分の目に入るものは常に心地よく、多様さは必要ないとする姿勢をとれば、世界は極めて単純なものに映る。しかし、様々な人や価値観が存在し、それぞれに背景や歴史、時として痛みすら抱えているのが実社会である。自らと異なる意見を目の前にした際に、それを拒否してしまえば実態を掴むことはできない。
第二の事例としては、雑誌を含めたマスメディアにおけるヘイトスピーチまがいの言説の広がりが挙げられる。『週刊ポスト』の特集「韓国なんて要らない」において「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」とされる記事が世間の注目を集めたが、それ以外にも「日韓断絶」(『文藝春秋』2019年10月号)など誰もが知る大手メディアで煽情的な見出しが躍った。後者については、「日韓相克 終わりなき歴史戦の正体」(11月号)、「『反日種族主義』を追放せよ」(12月号)といったタイトルも連続して表紙になっている。もちろん、発行部数を上げるための手段と見ることもできるが、それらは以前ならば嫌韓本でしか見られなかったタイトルである。
その背景には首相をはじめとする政治家がたびたび韓国への怒りを露わにしたことで、そうしたタイトルに「お墨付き」が与えられたと見ることができよう。しかし、歴史問題に起因する問題に対して自らを省みる視点が従来に比べて欠けている現政権の姿勢が基準となる以上、それがメディア、そして社会に広がることは問題を一層深刻にさせてしまう。
第三の事例として挙げられるのが、9月に法相に就任(10月に辞任)したチョ・グクの扱いである。
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